手というと、私は手段やteqniqueといった言葉を連想します。それは多分職業柄です。
ですので、時には仕事の話でもしましょうか。
職人という概念があります。もっとも、これは日本に特有の概念ではなくて、craftsmanだとかmeisterだとか、世界中のどこへ行ってもあるものですが。
けれど、これほどまでに職人が賛美されるのも日本だけなのかな、と思います。
日本における職人は、ある意味で万能の存在です。
例えば、とある町には古びた工務店があって、そこにはミヤモトさんっていう偏屈なオッサンがいたりするわけです。
よく一杯飲み屋で柿ピーと冷やを頼んでは、野球中継の裏表を見て帰っていくうだつの上がらないオッサンです。
しかし、ミヤモトさんにしか作れない配管継ぎ手というものが存在します。特殊な立体構造と、とてつもない寸法精度。これを作ることが出来るのは世界広しといえどミヤモトさんだけです。
そんなミヤモトさんが、下町の工場にわらわら住んでいるのです。
ある人は鏡面研磨の達人、
ある人は鋼焼き入れの達人、
ある人は金属膜溶射の達人。
探せばどんな達人でもいるから、彼らが集まれば作れないものはこの世に存在しません。
それが日本の職人信仰です。
しかし私は、職人という存在を消し去りたいとずっと思っています。
それが日本の物作りを、更なる高さへ押し上げるから。
もし職人が神なのだとすれば、私の仕事は、神を人間界へと引きずりおろすことです。
重要なので強調して言うけれど、それは神殺しではない。
私が持っているのは槍じゃなくて一粒の林檎。
私の仕事は、とあるメーカーの生産技術です。
開発された新製品をマスプロダクト化するための手法を確立するのが仕事。
チャーハンで例えると分かりやすいかな。
一個だけ作るのはとても簡単です。米はぱらぱらになるし、具材もあるだけ入れればよい。
ところがこれを10人分作るとどうなるか。
プロでも10人分は無理だ。まず、米を投入すれば鍋の温度は下がる。多すぎて火の通り方は一定にならない。具材にも偏りが出来る。チャーシューが入っていない人が暴動を起こすかもしれない。
それがマスプロダクトの難しさなんです。小さい鍋で作るのと違って、品質が安定しない。
この問題をどう解決するのか。それが仕事。
例えばこの問題は、バッチ処理ではなくてライン制作に切り替えることで解決できるはずです。
つまり、10人分をいっぺんに作るのではなく、数人で、山パンのラインの如く作れば良いのだ。
品質を安定させるという観点でもうひとつ重要なことは、「人によるばらつきを無くす」ということ。チャーハンを作る人によって味が違っていては、客が寄り付かないじゃないか。
そのために我々は作業手順書を作ります。ここで言えばレシピですね。
誰もがそれを参照することで、ばらつきなく作れる。初心者でも作れる。不透明な部分は一切残さない。
そんな立場に立ってみると、今の日本の物作りはどうだ。
あれはミヤモトさんしか作れない、ミヤモトさんには後継ぎがいない、入ったけれどすぐにやめてしまった。
こんなものが持続的な経済活動といえるのか。
いや、そんなこと言っても、ササキさんの鋼焼き入れ技術は神業なんだ、あれは科学じゃ解明できないと思う。
そういう意見があるかもしれない。
でも違うそうじゃない、科学で解明できないんじゃなくてそれを忌避してきただけなんだ。
やろうと思えば、私の仕事のように、SEMを見てTEMを見て、AESで元素の分布レベルまで、EBSPで結晶粒界レベルの組織差を見て、それくらいの努力は出来るはず。
差が分かれば、後はそれに近づけるようトライ&エラーを繰り返すだけの簡単なお仕事。
大量生産用の条件を探し出せば良いのだ。
それが上手くいけば、あとは標準化をすればおしまい。
誰でも作れるように、製品のレシピを作るのだ。
ただそれだけ。そんな簡単なことが出来ないのは、ただ単純に怠慢なんだ。
よく誤解されるけれど、私は別に機械化を進めたいと言っているわけではありません。
一般に大企業といわれるうちの会社だって、機械じゃ出来ないものは出来ないって割り切っているし。
人の手でしか作れないものは当然ある。
けれどそれを、誰でも簡単に作れるようにレシピ化するってだけ。
人と神の垣根を無くすのだ。
誰が作っても同じなんて、そんなのはつまらない。そんなことをしていては硬直化してしまう。
そういう意見もあるかと思いますが、アーティストと職人は違うんです。
そこがごちゃごちゃになると、デザインがぶれてしまう。
その辺りの線引きはしっかりした方が良いです。
標準化の結果、誰が何でも作れるということは、製品同士、技術同士の垣根が比較的緩やかになるということを意味します。
ある業界では当たり前に使っていた技術が、他の業界に革命を起こすかもしれない。
今の日本は上から下までどこも官僚的な縦割りだからそれこそ硬直化しているけれど、それも無くしていければより物作りのレベルはアップするはずです。
職人という存在は、ある意味で日本の縦割り社会の最小単位です。
それを無くすことで、澱んでいた技術や知識は動きだし流れ出し、それが物作りのレベルを上げる。
私の理想はそういう社会です。
今日の曲 - Every little thing「きみの て」