2014年06月

記事に通し番号を付けてみることにしました。
3桁にしているのは、少なくとも100まで飽きずに行ければ良いなという願いの表れです。


昨日の「ロハス」に続き、実は、もうひとつ分からない言葉があります。
それはマイナスイオンです。

ion-sayou

いや、イメージは分かります。
なんか自然環境に優しそうなあれ。
南国のリゾートでハンモックに揺られながらフェアトレードコーヒーでも飲んでるあれ。
成城石井で有機野菜を買って豆のドライカレーを作り、手焼きの器に盛って、しかも盛り方は腹三分目で十六穀米でロッジの一部屋でキャンドルナイトな、あれ。意外にカレーは辛い。

あれ、なんか昨日と同じだ。
基本的に、ロハスとマイナスイオンって同じような概念なのか。

そんなわけで、上の表は某所から拾ってきたマイナスイオンとプラスイオンの対比表です。
プラスイオン怖いなぁ。
出来る限り、自分の近くにはマイナスイオンをいっぱい留めておきたいものです。

では、マイナスイオンはどこにあるのか。
このサイトによると、
森の中なんかによくあるらしいです。

森か。
とは言っても、プラスイオンが溜まりやすい都心に住んでいては、なかなか森に行く機会はないと思います。

そこで、今回お勧めなのがこのサイト。
窓の杜です。
漢字は違いますが、杜も森も意味は同じなんです。
ちゃんとアドレスにforestって書いてある。そう。住所まで森なんだ! この半端ないフォレスト感。

森と言えば神宮の森ですが、神宮球場でさえ住所は「東京都新宿区 霞ヶ丘町3−1」。こんなん森じゃない。
フォレスト感では圧倒的に窓の杜のほうが上。

現代人は知らないかもしれませんが、15年くらい前は何を探すにもこのサイトに入り浸ったものなんです。

誰もがこの森に集った時代、インターネットの世界は、それはそれは平和だったのです。
ところが、vectorの台頭、アプリケーションの多様化、スマートフォンの普及など、
いくつもの時代を経て、この杜から人は姿を消していきました。

そして2014年。杜を離れたネットの住民はどうだ。
炎上、ネトウヨ、煽り合い、田代の釈放。
時はまさに世紀末ではないか。

これらはすべて、プラスイオンに仕組まれたことだったんだー!

そう。今こそ人々は杜を取り戻す時期に来ているのです。
目的なんて無くていい。
まず、杜に集うのです。すべてはそこから始まるのです。

マイナスイオンを浴びること。
それが平和への第一歩なんです。


続く。


ワールドカップネタもそろそろ飽きてきたので、
そろそろ通常更新に戻ります。

麺の話も、また長くなりそうなので、少し後回し。
ちょっと脱線します。

今日はちょっと長いです。


最近分からない言葉の一つに、
「ロハス」というものがあります。

いや、イメージは分かります。
なんか自然環境に優しそうなあれ。
南国のリゾートでハンモックに揺られながらフェアトレードコーヒーでも飲んでるあれ。
成城石井で有機野菜を買って豆のドライカレーを作り、手焼きの器に盛って、しかも盛り方は腹三分目で十六穀米でロッジの一部屋でキャンドルナイトな、あれ。意外にカレーは辛い。

それはそれで良いのだけれど、
最近本屋に行ったんです。みなとみらいにある、おしゃれ本屋。
その時、雑誌コーナーで見た光景がこれでした。

2014-06-27-16-00-22

ぱっと見では分かりづらいのですが、
注意して見ると、あることに気付きます。

他はフリーダムに置かれているのに、
ソトコトだけビニールで包まれている。

ソトコトといえば、もうあれですよ。
参考リンクとして、おしゃれにfacebookとか貼っちゃいますが、
いわゆるロハスの権化です。

日本のロハスの先駆者、ロハスに関してはソトコトの言うことだけ聞いてれば間違いない。

かめはめ波のことは亀仙人に聞けば全部わかる。
バスケのことは安西先生に聞けば全部わかる。
サッカーのことは松木安太郎に聞けば全部わかる。

それと同列の存在なんです。
ロハスのことは、ソトコトに聞けば全部分かる。
それが、何か様子がおかしい。
この雑誌だけ、明らかに過剰包装ではないか。

これはどうしたことか。
まさか、地球上すべてのものに優しい理想を求めるソトコトが、
単なる立ち読み防止のためにビニールをかけているなんて、そんなことあるはずがない。
それだけのために過剰包装を許すなんて、そんなことはありえない。

これには何か理由があるはずだ。
その理由を感じ取れる、そんな境地に至ってこそロハスなのでしょう。
私はロハスからは程遠いので、少し考えてみます。


(1)じつは、このビニールは、フェアトレードビニールなのだ。

木を切って生活をしているポディマハッタヤさんがいて、
それをビニールに加工するトニーゴンザレスさんがいて、
それでソトコトを包むダン・ランドレスさんがいる。

ソトコトのビニールのおかげで、彼らは生活できているのだ。
ビニールを無くすことは、彼らの職を奪うことを意味する。

さすが、人にやさしいソトコトだ。


(2)じつは、このビニールは、細菌達の餌になるのだ。

ナポレオン(だったと思います)は、食事の食べ方が非常に汚かったと言います。
テーブルの下に落とす落とす。
誰もが眉をひそめてそれを見ていたのですが、
じつは、それはテーブルの下に群がる犬たちに、おいしい食事を食べさせるためだったのです。

という伝説。
ソトコトも同じなのだ。

ソトコト読者は路上にビニールを捨てる。
それは一見、不法投棄のように見えるが、違う。
土に根付いた細菌達に、おいしい有機物を食べて元気になってほしいからなのだ。

細菌が元気なら地球も元気。

さすが、地球にやさしいソトコトだ。


(3)じつは、このビニールは、被災地支援になるのだ。

ソトコト読者は路上にビニールを捨てる。
それも、人がいない福島第一原発付近に。
それは一見、不法投棄のように見えるが、違う。

放射線量のマッピングをしてみれば、きっと分かるはずだ。

 ――放射線が遮断されている!? ビニールの向こう側の土は放射線量が0だ! 何故なんだ!?
 ――そのビニールをよく見てみるんだ。
 ――何……だと……? これは鉛が混ぜられたビニール……
 ――そう。ソトコトの包装は、鉛を混ぜたビニールなんだ。
   これさえ使えば、もう放射線なんて怖くない!

さすが、奇跡を起こすソトコトだ。

ということで、ソトコトのすごさが分かりましたね。
ロハスのすごさが分かりましたね。

私にはまだ分かりません。
多分、今の私のロハスレベルが限りなく低いからなのでしょう。


(勝手に鉛を捨てたら不法投棄で捕まります)


前回の記事では、
サッカー日本代表が、
世界平和のために取るべき戦略について書きました。
日本代表の戦い方を通して、世界へ平和のメッセージを届けるのです。


1


これが現在のフォーメーション(4-2-3-1)ですが、
これではあまりにも攻撃的に過ぎる、
侵略の歴史を思い出させる、ということで、

前回はこのようなフォーメーションを考えました。

4



これは、傘連判状という日本の心を示したものですが、
これではまだ平和感が足りない。

何故か。
フィールド上をよく見れば分かります。
日本チームの中で、一人だけ軍位階級の高い人物。

それは監督です。
司令官という存在がもう怖いよね。

旧日本軍においては、
司令部の暴走が戦争を引き起こしたと言っても過言ではありません。
なので、司令官という概念を無くします。
次のようなフォーメーションです。



(4)WAになって踊ろうフォーメーション

5


司令官も選手も、誰も皆、平等。
フィールドみたいな血なまぐさい戦闘地域じゃなくて、
非武装地帯で、みんなでWAになろう。

このフォーメーションのすごい所は、
自衛のための必要最小限度の実力さえ持たないことです。
自衛隊だって憲法違反じゃないか、という意見を反映しています。

でももちろん、他国は攻め入ることができません。
憲法9条で平和主義で友愛な国に攻めてくるわけないじゃないか!



(5)「軍隊は最低でも県外」フォーメーション

6


元首相は言いました。
軍隊は最低でも県外移設だと。

確かに、沖縄の外に軍隊を追い出してこそ友愛。
そのことを忘れていました。

(4)では、ただ単に辺野古沖にメガフロートを作っただけです。
沖縄県民の安全は全く保障されていません。

なので、見えない場所に移設しました。
これで大丈夫だろう。



(6)「軍隊は国外移設」フォーメーション

じつは、元首相は、軍隊のアメリカ移設を理想としていたようです。
なるほど、それこそが真の友愛というならば、これでどうだ。

7


例えば会場が群馬だったとして、
群馬から東京への国外移設。

しかも、敢えての東京ドームだ。

野球とサッカーは仲が悪いと聞くけれど、
敢えて巨人軍の本拠地で守る事で、サッカーと野球の相互理解も深まるかもしれない。



次回以降は、
こんな戦い方でどうでしょうか。

(野球の邪魔です)

前回の記事では、
現在の日本の戦い方はあまりにも日本らしくない、
もっと日本らしい戦い方を追求すべきである、と書きました。


まず、ザッケローニ監督が今回採用したフォーメーションを見てみましょう。

1
形は4-2-3-1システムですが、
通常の4-2-3-1よりも攻撃重視の選手を増やし、4-2-4とでも言えるようなシステムになっています。

前回も書いたように、こんな攻撃重視システムは本来の日本の戦術ではありません。
そもそも、攻撃能力の保持は憲法9条により厳しく制限されているのです。

日本が為すべきは平和の希求なのです。
打撃力を以ってではなく、その憲法9条の精神を以って、
平和的に争いの打開を目指すのです。

それは難しいことかもしれないけれど、
まずは日本から心を開かなければいけません。

そんな戦術を採りましょう。



(1)専守防衛システム

近代サッカーの基本形ともいえる4-4-2ですが、
専守防衛の高潔な考えを取り入れれば、こんなにも新しい形が出来上がるのです。

2

いかに国境付近の警備が薄くても、
この防衛システムを突破するのは並大抵ではありません。

ただし、ひとたび攻め込まれると、
太平洋戦争のような総力戦になってしまうのは目に見えています。

また、このシステムでは、
指揮官から最も離れた前方の二人が独断で攻撃参加してしまうリスクがあります。
このリスクを減らしたい。




(2)専守防衛システム & 李承晩ラインの採用

李承晩ラインとは、太平洋戦争後、韓国が引いた日韓境界線です。
韓国では、「平和のためのライン」と呼ばれています。例えば、竹島が韓国側にあったり。

平和を希求する日本としては、このラインを見過ごすわけにはいかないでしょう。
この考え方を取り入れます。

3

日本の軍事境界線を、ペナルティエリアの線まで後退させます。
10-0-0というシステム。
これは新しい。進歩的な国防だ。

これを越えたらオフサイドですので、
敵国の軍用機に撃墜されても体当たりされても文句は言えません。

ここまで来れば、
敵陣内に攻め込もうなどという好戦的な考え方は無くなると思います。


しかし、これでも不十分だ。
いろいろな問題が生じている。
(a) 攻め込もうとした敵がオフサイドになる可能性がある
   →フラット3のような「フラット10」なので、オフサイドトラップを仕掛けていると誤解される。
    これは平和を愛する精神に反する。

(b) この長い壁が、東西対立の象徴であるベルリンの壁を思わせる。
   →ドイツ! ナチス! 独裁者!
    これは平和を愛する精神に反する。

(c) ゴールキーパーだけ偉そう。
   せっかく、みんな並んだ平等な日本ができそうなのに、
   ゴールキーパーだけ後方に構えて偉そう。
   だいたい、手が使えるなんておかしい。防衛のための戦力にしては強力すぎる。
   これは平和を愛する精神に反する。


というわけで、更なる平和的フォーメーションを考える必要があります。




(3)傘連番状システム

傘連番状とは、これです。

renban

魔法陣ではありません。

上にクレームを出すとき、
輪っか状に名前を書き連ねることで、誰が筆頭者か分からなくなる。
誰も上に居ないし下に居ない。
まさに平等と博愛を体現した形なんです。

これを再現します。
こんな感じ。

4

誰がゴールキーパーか分かりません。
本人たちにも分かりません。

もはや、システムを数字で表すことも不可能。
それほどに進歩的なフォーメーションなんです。

これこそが日本の心、
平和の精神を世界に示す最強のフォーメーションに見えます。

しかし、ここにもまだ問題があるのです。
平和を邪魔する敵は、ピッチの外にいる。
それを何とかしないといけない。

次回、
世界平和のための更なるフォーメーションを探ります。
続く。

サッカーワールドカップ、日本は残念な結果でしたね。
たまには真面目に、敗因の分析をしてみましょう。
過去はもう二度と来ないが、放っといても4年後は来るのだ。

今回の敗因については、
(1)コンディションが良くなかった
(2)スペイン式パスサッカーが研究され尽くしていた
(3)個の力を蔑ろにしすぎた

など、様々挙げられると思いますが、結局は、
・日本らしいサッカーを、全くできなかったこと
これに尽きると思います。

では、日本らしいサッカーとは何か?

よく勘違いされますが、攻撃型サッカーなんていうものは日本のサッカーではありません。

岡田監督の「守備から始まる」サッカー、
トルシエ監督の高度に統率された意識的な守備。フラット3とか懐かしいな。

攻撃的な戦術の歴史なんて日本には浅い。トイレットペーパーみたいにペラッペラだ。
日本は常に守備的であるべきなのです。


だって、憲法9条に専守防衛が明記されているし。

まず、第1戦の前半。この時点で既におかしい。
日本、本田のゴールで先制
これは、戦闘準備中の敵基地への先制攻撃ではないのか。
まだ攻撃を受けていないのに、こんな攻撃が許されるのか。


次にこれ。
1

集団で取り囲んでのヘイトスピーチ。
よく見ると、詰め寄られているのは特定のアジア人のようにも見えます。
こんな人種差別が許されていいはずがない!!!


さらに、
日本 - ギリシャ ギリシャに退場者
これは、日本のCaptain(=海軍大佐が語源です。なんという右翼的発想なのだ!)である、
長谷部選手が後ろから危険なタックルを受けて倒されたことによる退場者です。

でも、よくよく考えてほしい。
この後、ギリシャは一人を失い、10人で戦うことを余儀なくされた。
長谷部captain一人への攻撃が原因で。

これは集団的自衛権の濫用にあたるのではないか。

最近、安倍首相がしきりに集団的自衛権について語っていますが、
まさかこんなに早く集団的自衛権の行使が為されるとは思いませんでした。
随分と拙速すぎやしませんかね。


そもそも、
この記事によれば、
陸・海・空軍その他の戦力を有しないはずの日本で、
吉田という男が空中戦を展開していたようだし、


渋谷には、

2
日本代表の軍服を着せられた従軍慰安婦が集められたと聞くし、


ギリシア戦後には、ピッチに対し、
セクハラ野次まで飛んだらしい



なんという右傾化。
こんなものが、戦いに対する日本の態度であっていいはずがない。

次回は、日本代表が取るべき戦い方について書きたいと思います。
続く。

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