タコも卵も買ったし、ソースは銀座まで行ってイカリソースを買ってきた。しかしなんで東京のスーパーにはイカリソースが無いんだ。オタフクソースで満足してドヤ顔。それが東京の限界なのか。
小麦はデパートで訳分からん最高級品を買ってきた。バイトの時給3時間分だ。でも多分おいしいんだろう。
そしてかつお節。こいつが無いと話にならない。もちろん最高級品。大袋でバイトの時給3時間分。
このタコ焼きには俺の1日分が詰め込まれている。まさに魂を削って作ったタコ焼きだ。

アヤカは言ったのだ。その青磁を打ったような透明なアルトを俺に向けてくれたのだ。確か壁際の席で、二人で話しているときに。
「ねえ、コウタ君って大阪人なんでしょ?」
だから俺は答えた。
「大阪も大阪、ど真ん中やホンマ、ミナミ言うたら日本の大阪のヘソやがな」
「へー、関西弁なんだね、コテコテ。面白ーい」
「出身は岡山県やで、岡山生まれだけど魂は大阪に染まってしもたんや」
「やっぱり大阪は濃いんだね、ネイティブにしか聞こえないよー」
しかしもちろんガセだ。大阪にいたのは一年だけ。予備校の友人はネイティブ大阪人だったから試しに使ってみたこともあったが、その時には大爆笑された。
曰く、「ジブン勘弁してくれや、アホやなー、多分中学生がドヤって外人に話しかけたくらいのギャグやで」
でも東京人には通じてくれた。また笑われたらギャグで押し通すつもりだったけれど。
そう。アヤカは東京人だ。絵に書いたような東京人。服のセンスやファッション小物の使い方はドラマから出てきた女優のようで、話し方とか細かい動作も美しい。別に演技じみた美しさではない。夜更けに森の奥の泉でアフロディーテが何の気なしに髪を掻き上げるような仕種。光の粒がこぼれるのだ。
神話とか読んだことないから適当だけど。
「ねぇコウタ君」そんなアヤカは言った。「たこ焼きは好きですか?」
「タコ焼き? そりゃ大阪のソウルフードですよアヤカさん。タコ焼きが嫌いな大阪人なんているわけないでしょうよ」
「やっぱり、大阪人はみんなたこ焼き器持ってるの?」
「いや、むしろ持ってない方がありえへんって。向こうでは一人一台が当然だったけど、東京の人は持ってないん?」
「そうなんだーすごいよ、コウタ君の作ったたこ焼きが食べたいな」
「アヤカさんのためならいつでも作ってやりますよ、何なら明日にでも」

そして話はとんとん拍子に進み、気が付けばアヤカがうちに来るという話になっていた。
しかしうちにタコ焼き器はない。俺は岡山県民なのだ。
じゃあ来週にしましょうということで猶予は一週間、アヤカが来る前に、やることは色々あった。
掃除をして、クックパッドでタコ焼きのレシピを見て、材料とタコ焼き器を買いに行って、焼く練習をした。
滅茶苦茶に焦げ付いてぱさぱさしていたけれど、あれは多分ソースが悪かったのだ。
だから再び買い物に行って、ネットで評判の良かったイカリソースを買ってきた。
何度も練習をした結果、確かにタコ焼きの腕は上達したけれど、その代償として、もうしばらくタコ焼きを見たくなくなった。
長かったタコ焼き地獄から今日で解放されると思うと、何か感慨深い。

ちらりと時計を見ると、もうすぐ18時。そろそろアヤカが家に来る時間だ。
もちろん酒も用意した。アヤカの好きなカシスオレンジの材料、そしてカルーアと牛乳。
この一週間で酒についても研究した。そこで生み出した最強のカクテルがホットカルーアだ。これは想像以上に凄かった。作り方はいたって簡単、ホットミルクを使ってカルーアミルクを作るだけ。まず、ホットにすることで味が丸くなる。寒い時に飲むカフェオレのような優しい味。さらに、温めることでアルコールの回りが異常に早くなる。調子に乗って飲んでいて、4杯目で意識を失って気付いたら翌日の昼だったりした。授業の単位はほぼ絶望的な状況だけど、この最強カクテルを生み出せたのだから安い買い物だ。
これをどう使うかは、まぁ成り行きだな。
材料をテーブルに並べていると、玄関のベルが鳴った。それは天使が吹くラッパのような世界を丸ごと塗り替えてしまう美しい音色、さぁパーティーが始まる。
玄関のドアを開ける。「どうもー、こんばん……わ……?」
ドアを開けたのに、そこには再び壁があった。誰だよこんな所に邪魔な壁を作ったのは。
「どうしたの固まって、呼ばれたから来たんだけど」
壁が喋った。怖っ。なんだよ、何かの呪いか地縛霊か。ここが事故物件だったなんて聞いてないよ俺。
「こんにちはコウタ君、来たよー」固まった俺と壁の間に割って入るように、壁の向こう側からアヤカが現れた。「今日はよろしくお願いします、ほら、ミユキもちゃんと挨拶しないと」
どうしたアヤカ、壁に向かって話すなんて。と思っていると、壁が動いた。そして喋った。
「よろしくワタナベ君、私はちょっとタコ焼きにはうるさいよ」
「初めて入る男の子の部屋だから、ミユキも緊張してるんだよ。ごめんねー」
アヤカが言う。
そうだ。そういえば見たことあるぞこの壁。ゴンダワラだ。
「あぁよろしくアヤカちゃんと、ゴンダワ……いや、ゴンダさん」
どう見ても100キロ越えの、一度見たら忘れられない強烈キャラだ。なのにすぐには人間と判別できなかったのは、脳が覚えることを拒否したのか、強制消去したいくらいの凄まじいビジュアルだからなのか、そもそも大きすぎて人間と認識できなかったからなのか。
「突然来たから、人間だと認識でき……いや、驚いたよ」
「いや、アンタが私も呼んだんでしょ」
「え」
「やだなーコウタ君、あの時、私とミユキと両方呼んでくれたじゃない、もしかして酔ってて約束忘れちゃった?」
マジかよ。
あの時の記憶を冷静に思い出す。アヤカと二人だけで話していた壁際の席の様子。他に人間は居なかった。あとは壁しかなかった……壁しか……
ちらりとアヤカの後ろを見る。
そこには大きな壁が立っていた。
「大丈夫? 迷惑だったら帰るよ?」
いや、それはまずい。今までの苦労が全て無駄になってしまう。
しかし、そうなれば成り行き上、ゴンダワラも入れなければならなくなる、が、ゴンダワラの重みにうちの床が耐えきれるかどうか……
仕方ない。
「覚えてるに決まってるでしょ、ちょっとした焦らしプレイですよ」
「焦らしプレイとか、ワタナベくん、女子の前で何かエロくなーい?」
体をくねくねさせるゴンダワラ。おいやめろ。お前が変に動くと建物が崩壊する。
そういえば、天使のラッパって、世界崩壊のお知らせだったか。

タコ焼きを焼いている間は暇なので、酒を飲ませることにする。
作戦変更だ。新しいカクテルを開発したんだ、とホットカルーアを渡す。こいつを使って平和をこの手に取り戻すのだ。
「何これおいしい!」と凄い勢いで飲む二人。
ゴンダワラのカルーアはアヤカの10倍のやつを渡してある。猛獣用の配合にすることで早く眠らせ、タコ焼きパーティーに光を取り戻すのだ。
「おいしいやろ? 女の子向けの優しい特製カクテ「おかわり!」
俺の言葉は、言い終わる前にゴンダワラの咆哮に打ち消されてしまう。
「ゴンダワ……ゴンダさん、もう3杯目だけど、大丈夫?」
「何これ、薄いんじゃないの? ケチらないでもっと強くしてよ」
何だよ。人様の家のカルピスにケチをつけちゃいけませんって子供のころに躾けられなかったのか。それとも、もっと強い奴に会いたいっていう野生の本能なのか。
ならば望むところだ。猛獣用なんて生ぬるい、ゴンダワラスペシャルだ。
配合は簡単だ。カルーア33%、大五郎33%、その辺に転がってた消毒用アルコール34%。これをレンチンして出せば如何にゴンダワラと言えども仕留めるこ「おかわり!」
俺の自信は鬼の雄叫びに粉砕される。
追加のゴンダワラスペシャルを作りながら、俺は背水に追い込まれたことを悟っていた。この方法はまずい。高価なカルーアがジャングルの水場のように飲み干されていく。
最終的に、ゴンダワラスペシャルは大五郎70%、消毒用アルコール30%にネスカフェゴールドブレンドを混ぜた物になっていた。

そんな中で、やはりアヤカは天使のようだ。いや女神か。2杯目のホットカルーアで顔を赤くし、「なんか気持ちよくなってきちゃったー」と舌足らずな言葉。
そうだよ。これが正しいタコ焼きパーティーの姿だよ。もうその横の生物が地獄の番犬ケルベロスにしか見えない。グルグルと唸りながら酒を煽るその姿。どこが顔だかも分からない。
タコ焼きをくるくるひっくり返すのを見ながら、「やっぱりうまいねー」と笑顔。アヤカは笑うと垂れ目が強調される。それがすごく可愛いのだ。
「大阪人としての最低限の嗜みやねんな」
血を吐くような練習の成果だ。
ようやく焼けたタコ焼きを皿に盛る前に、アヤカは既に割り箸を割って待ち構えている。「まだかなまだかなー」
「そんなに慌てなくても、あとちょっとだから待っててや」
ゴンダワラはタコ焼き器から直で食べそうな勢いだ。お前はちょっと自重しろ。
「13個できるから、まずは一人4個ずつで行こうな」
すぐに食い尽くされないよう、皿に移す前に予めゴンダワラに釘を刺しておく。
「大阪人はタコ焼き食べ飽きてるんじゃないの? レディーファーストで私とアヤカで7個ずつだよ普通は」
「そろそろいいかな」ゴンダワラを完全無視してアヤカに向けて言う。アヤカはアルコールが回りとろんとした目のまま頷く。
13個を一気に皿に乗せ、ソースとマヨネーズをかける。
「すごーい、さすが大阪人、屋台で売ってるやつみたいだ」
アヤカの言葉に笑って頷く。そりゃ、1週間かけて練習したからな。
そして最後にかつお節を一つかみ、どばっと振りかける。やっぱり良いかつお節だ、水分と熱を得て、ものすごいスピードで踊りはじめる。
「わー、踊ってる!」目をきらきらさせて覗きこむアヤカ。「削り節が生き物みたいだ」
「削り節……?」
「え? 削り節って言わない? 私何か変なこと言ったかな」
「いや、そんなことないと思うよ」
それ、すごく良い。削り節って。その昭和感あふれる言い方と普段のアヤカとギャップ。凄まじく可愛い。笑いが顔に出てしまう。
そういえば、ゴンダワラはどうしたんだろうか。俺を突き飛ばして皿ごと食べ始めそうな奴は。と見てみると、床に崩れ落ちて大口を開けて寝ていた。
良かった。世界の平和は守られたんだ。
居るだけで色々と邪魔そうだけど、それは後で考えるか。最悪、アヤカに気づかれないように外へ投げ捨てておこう。
「熱いうちに食べてよ、冷めるとおいしくないから」
「はーい、いただきます。でもなんか食べるのがかわいそうだな、こんなに踊られてると」
削り節の踊りはさっきよりもさらに激しくなっている。これから食われるとも知らずに、バカでかわいそうな奴だ。
「ちなみに、口の中をケガしない食べ方としては」
箸でタコ焼きを割り、中を混ぜてからアヤカの目の前へ運ぶ。「こうやって冷ますと良いんだよ」
もちろん、これも誰かのブログで得た知識だ。
アヤカは一瞬、目の前のタコ焼きをじっと見つめてから、ぱくりと食いついた。箸の先にアヤカの体重を感じる。
そして、アルコールのせいで荒くなった吐息。
これだよ。障害物がなくなって、ようやく良い展開になって来たじゃないか。
「おいしいー。タコ焼きもソースも削り節も、なんか今まで食べたことないくらいおいしいー」
そりゃ、このタコ焼きには俺の食費と魂が凝縮されているから。
満面の笑みを浮かべるアヤカを満足して見つめる。やっぱりこいつは異常なくらいに可愛い。女神様だ。ありがとう。
タコ焼きを食べ続ける姿を見ているだけで満足だ。
見かけによらず、口を目いっぱいに開けて一口で食べるけれど、その口は異常に小さい。だから全然下品には見えない。むしろ、子供が一生懸命食べているようで微笑ましい。
「ミユキちゃん、寝ちゃったね。大丈夫かな」
「疲れてたのかな、まぁ今は寝かせておいてあげようよ」
後でまた焼くから、とゴンダワラの分のタコ焼きをアヤカに渡すと、「ありがとう」と笑って食べ始める。
「コウタ君は良い父親になると思うよ」
「え、どうして」突然の言葉に息が止まりそうになる。
「こんなに料理がうまくて、しかも大阪人で話も面白いんだもん。こんな人と結婚できる人は幸せ者だよ」
だったら、付き合おうよ。絶対に幸せにしてやるから。そう言いたかったけれど、うまく言葉が出てこなかった。
あぁ。そのきらきら美しい瞳に吸い込まれそうだ。凪いだ森の奥みたいに静謐なその瞳に。
思わずその頬に手を伸ばす。
「どうしたの?」
首を傾げるアヤカに言う。「ソースがついてたから」もちろんソースなんてついてはいないけれど。
「それは困っちゃうなぁ、取らないと」
再び伸ばした手は、その頬との距離を刻一刻と詰める。それはとても遠い距離で、そして――
突然携帯の着信音が鳴った。
誰だよマナーモードにし忘れたやつは。また空気が読めてないゴンダワラか、とゴンダワラを睨みつけようとすると、
「はーい、もしもし」
電話に出たのはアヤカだった。「あ、うん、分かったー」
アヤカなら仕方ないか。
「うん、すぐ行くよー、愛してるね、じゃぁ」
仕方なくねぇよ。
「えーと、誰でしょうか今のは」
電話を切ったアヤカに恐る恐る聞いてみると、
「ん、カレシさんだよ。この後会う約束をしてるんだ」ふわりと立ち上がるアヤカ。「ソースついてたらまずいなぁ、ね、どこについてるの?」
「あぁごめん、見間違いでした」
「そう、良かった」アヤカは赤い顔のまま玄関まで歩いていく。
俺はただ、その後を着いていくだけだ。「アルコール回ってそうに見えるけど、大丈夫?」
「うん、すぐそこまでカレシさんが来てるからー。本当においしかったし、レシピも参考になったよ。今度は自分でも試してみるね」
じゃ、とドアを開けて去っていく。その足取りはおぼつかない。
なんだよそりゃ。なんかおかしくね?
後に残されたのは、本当に今までアヤカがいたのか分からないような静まった部屋。

いや、それは嘘だ。
部屋に戻ると、巨大なモンスターが待ち受けていた。
「あ、ゴンダワラさん、起きてたんですか」
アルコールで真っ赤な顔。まるでゴンダワラはロシア原産の熊みたいな見た目になっていた。
あの程度のアルコールではゴンダワラを仕留めることなんて出来なかったらしい。ふーふーと荒い息をついた手負いの獣。
「ワタナベくん」据わった眼をしている。今にも飛びかかりそうだ……あぁ、間違ってゴンダワラって呼んだからだろうか。
「私……酔っちゃったみたい」
「え」
ゴンダワラの手には携帯が握り締められている。まるで準備運動に潰そうとしているような図だ。
何やら光っているので目を凝らしてみると、次のような文章が見えた。

邪魔者は去ります。
後は頑張ってね。
アヤカ

気付けば、テーブルの上のタコ焼きは冷めきって、かつお節はすっかり踊るのをやめてしまった。
くたくたになって潰れている。

そうか。
ようやく分かりました。
ドアのベルが鳴ったあの瞬間、
天使のラッパが聞こえたあの瞬間、
確かに世界は終わっていたのですね。