前回の記事の続きですが、
うちの社食の凄いところはただ一点、

時々カレーさえまずいことです。

カレーをまずく作るなんて、相応の技術と悪意が無ければ不可能です。
何を入れてもカレーはカレーにしかならないのだ。

例えば、以前どこかで食べた水戸納豆カレーは非常にアレがアレでした。

インドで最もポピュラーなのはダールカレー(豆のカレー)とされていますが、それを独自解釈した結果が水戸納豆カレーなのだとしたら、
そいつはインドを誤解している。ただガンジスの下流を再現しただけじゃないか。
ある意味で究極のヘイトスピーチ。

まぁ納豆なら仕方ない。
もはや納豆自体がヘイトスピーチみたいなものだし。

何にしても、納豆の力を借りずにカレーをまずくできる奴は相当の技量を持った料理人に違いないのですが、
うちの社食は力ではなく技で勝負します。

米です。

先日食べたポークカレーは、米の粒界がほとんど見えませんでした。
粒じゃないので、数え方の単位が分かりません。
多分、一粒、二粒……といった粒単位ではなく、100g単位で売ってるに違いありません。
ほとんど餅です。硬さと弾力のない餅です。

yamatonori

もはや、こんな器に盛られていても不思議ではありません。
(事故米かな?)

カレーをまずくする方法として、このアプローチの凄いところは、
横展開の容易さと万能性です。

つまり、このヤマトのりをカレーに使用すればまずいカレーになり、
中華丼に使用すればまずい中華丼になり、
ちらしずしに使用すれば酢酸水溶液になり、
大ライスに使用すれば徳用のりになるのです。
舌きりスズメも大喜びです。

この米こそ、まさに、人類補完計画そのものと言っても良いかもしれません。

米たちは自らのATフィールドを無くし、
個々の不完全な米粒から、完全なひとつの生命(ヤマトのり)へと進化したのです。
そこには心の壁も、不必要な衝突も無い。
これこそ、人類のあるべき姿ではないでしょうか。

「エヴァシリーズを、本来の姿に」
「我ら人類に福音を齎す、真の姿に」
「等しき死と祈りをもって、全ての人々を真の姿に」
「それは、魂の安らぎでもある」

「では、食事を始めよう」



「……気持ち悪い」

(終劇)

 
今日の曲 - 「Komm, susser tod」