その言葉を口にした瞬間に、彼女の恋は終わっていたんだ。

彼女の口がひとつの言葉を紡ぐ。
「好きよ」というただその一言、そして差し延べられた手、そういった物たちを取ること。それはどう転んだってあり得ないことで、おそらく彼女自身にだって分かっていたと思う。
けれどもその瞬間に立ち止まってしまった僕は、次の一歩を踏み出せずにいる。
目の前の白くて細い腕を手首を指を、押し返すことも出来ずにいる。
どういう言葉で伝えればいいのか。
この時間、この距離、これからまだ続いていく二本の長い道、彼女を最も優しく包み込む言葉を探している。そっと柔らかく暖かく押し出していくような。
幾つもの言葉が虚空へ消える。肺を満たしてはぽろぽろと零れる。
僕は迷っている。

いくつもの光を見送った後、先に口を開いたのは彼女のほうだった。
「やっぱり思った通りの結果」ため息とともに肩を落とす。
「……ごめん」
彼女の目さえ見られずに謝る僕を、彼女は刺すように見ている。「なんで、あなたが謝るのよ」
「いや、だって――」「やっぱいいや」僕の言葉は遮られる。
「あなたは勘違いしてるかもしれないけど」彼女は言葉の鼻先を掴んで投げ捨てるようだった。「あなたの返事なんて、もうどうでも良いんだから」
「私が言ったのは、やっぱりあなたは肝心な時に迷ってばっかりの男だってこと。YesかNoかくらいハッキリしないと、お互いに時間の無駄」彼女は僕に、口を差し挟む暇さえ与えてはくれない。「お互いに、先はまだまだ長いんだから」
差し出されたままの手は、僕の胸の真ん中を強く付く。まるで刺し貫くように。
「だから私から、あなたを振ってやるんだ」
そして下ろされた手を追うように腕を伸ばす。そして抗議する。
「いやいやちょっと待ってよ、なんでこっちから告白したけどフラれたみたいになってるの」
彼女の握りこぶしが僕の手のひらの真ん中を叩く。甘やかな衝撃がじんわりと広がる。
「いいじゃないそれで、私はあなたを選ばなかった、私の恋は終わった」
最後の光とばかりに賑わう声を遠く聞きながら、光も当たらない校舎の端が何故こんなに眩しいのかと訝る。南風の通らない廊下の片隅がどうしてこんなに暖かいのかと考える。
彼女の右手が触れたままの右手が熱い。
「ねえ、どうせその上着、もう着ないんでしょ」
開いたままの彼女の左手が、僕の着る濃紺のブレザーを引っ張る。
「どうせ今日で最後だから」僕が答えると、
「じゃあ、ボタンくらいはもらってあげる。どうせあげる人もいないんだろうし、余っても無駄だから」
「第2ボタンってやつ? 別にいいけど」
「違う、だから勘違いしないでって」彼女は上着のポケットから糸切りばさみを取り出す。「全部だよ」
抗議する間もなく、制服のボタンは全てはさみで切り取られる。前だけではなくて、袖のボタンまでも全て。その時に僕が感じていたのは、彼女の右手が離れたあとの空気の冷たさだった。
「まるで強盗みたいだよ」
そんな僕の言葉を無視して、計7個のボタンをじゃらじゃらと弄びながら、
「私は大学に入って、楽しく過ごして、とてもきれいになるんだ。そしてあなたは、何であの時に捕まえておかなかったんだって悔やむ、でももう遅いんだ。きれいな花が欲しかったら、咲く前に取らなきゃ駄目。そうしないと目敏い誰かに摘まれちゃうから」
じゃあ私はもう行くね。
そして彼女は踵を返す。ふわりと髪が舞い、彼女の表情はもう見えない。
何か言わないといけない、何故だかそんな気がして必死に言葉をかき集めたけれど、
「卒業おめでとう」
出てきたのはそんな陳腐な言葉だった。
「あなたもね。卒業おめでとう」
そして彼女は振り返らなかった。
ある意味で彼女は正しかった。結局、最後に見つめていたのは僕のほうだったのだ。



今日の曲 - Tommy february6「bloomin'!
(春の曲シリーズその8)