春の歌シリーズその6。
中学校の卒業式の日に合唱で歌った曲です。
大学の頃は詩ばかり書いていましたが、詩人とは、谷川俊太郎みたいに自由な人のことを言うのだと思います。
この曲は、私が知っている中で最もよく春を表した曲だと思います。
始まりと終わりの境界、
物質と反物質が背中合わせになったような緊張感がある季節です。

今日、東京で桜が咲いたようです。
名実ともに春ですね。
ここからは進んだり戻ったりしながら、一歩ずつ着実に上がっていくのだ。

桜といえば、この季節によく使われるのが「サクラサク」「サクラチル」という表現。
今日では、受験の結果を端的に示すものとして知られていますが、もともとは早稲田大学が発祥のようで、
遠隔地の受験生に合否を電報で伝えるという、大学と電電公社のコラボレーションサービスだったとか。
そんなふうに早稲田のローカルサービスだったから、その他にも様々なパターンがあったようです。

例えば、奈良教育大では、
合格→「ダイブツ ヨロコブ」 不合格→「ダイブツノ メニ ナミダ」
奈良っぽく大仏ですが、しかし、一人の合格不合格で一喜一憂する大仏。
一人が神様まで動かすなんて、どんだけセカイ系の世界観なんだ。
まさか、その受験生はパイロットか何かなのか。
大仏に乗って使徒から世界を救ったりするのか。
使徒は螺髪フィールドみたいなバリアーを張るから、大仏に乗って同種の螺髪フィールドみたいなやつで中和しないと近づけないのか。

マハーマゥドガリヤーヤナにありがとう
プールナ・マイトラーヤニープトラにさようなら
そして、
全てのティヤーナード・ディヤーナに おめでとう

みたいな最終回か。


また、例えば、東京商船大では、
合格→「トラ トラ トラ」 不合格→「チンボツ」

いや、どっちにしても結果は同じ気がするのですが。
今全滅するか、原爆を2発落とされてから全滅するかの2択しかないんですが。


それは「サクラサク」「サクラチル」にも言えますよね。
例えば、次のような光景が挙げられます。


千鳥ヶ淵の周りを埋め尽くす、多くのサクラ、サクラ……
そう。サクラは重なり合い、まるで雲のように世界を埋め尽くす。
春の中心部はサクラに支配されて、他は何も見えない。
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しかし。
季節が過ぎたらどうなるのか。
春は一瞬で熱を失う。サクラは空気に掻き消えて、残るのは燃え切れなかった残滓だけ。
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今は。そう、春のこの瞬間だけは、桜が咲いて美しいかもしれない。
でもその後はどうなるんだ?
ほら、もう散っていく。その後には何も残らない。
ただ枝だけが燃え残って……

いや、違う。
あれは何だ?

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まさか……さくらんぼか? 花は後に実を残して行ったというのか……?
そうか! 花は実を残す、実は種を残す。そして種は花を新たにつける!
そうやって命は連綿と受け継がれていくんだな!

さくらんぼワショーイ!
さくらんぼワショーイ!
いただきます!

⇒まずい(断言)

※ソメイヨシノのさくらんぼは小さくてまずいので注意。コスパは最悪です。



今日の曲 - 「春に