(NN.4-1からの続き)
事の発端は3日前――作戦名が『砂漠の裁き』に決まる前日のことだった。
新校舎にある5年生の教室の周りには、4時になるとほとんど人がいなくなる。職員室も体育館も音楽室も旧校舎にあるので、何か目的があって残るようなまともな人たちはみんなそっちに行ってしまうのだ。
その日もいつものように5年2組の面々は授業が終わってから火の鳥やらはだしのゲンやらを読んで時間をつぶし、4時を過ぎたころに教室に戻って遊戯王カードで遊んでいた。最初はもっと多かったのだけど、塾やら習い事やらで少しずつ抜けていき、その時間まで残っていたのは3人だけになっていた。
教室に響くのは校庭から響いている野球の音、開け放たれた音楽室の窓から聞こえるピアノの音、カードを繰る音、そしてラジオの音だった。よく晴れていて、窓からの風はゆっくりと教室の中を吹き抜けていった。その時間にいつも流れる、洋楽も邦楽も入り混じったゆっくりした音楽番組を3人は気に入っていたけれど、3人が本当に好きなのはその後の番組だった。
Red hot chili peppersの曲がフェイドアウトしていったタイミングで、
『ピエールYAZAWAの、ジュテーム☆ニッポン!』
激しく胡散臭いBGMに乗って聞きなれた声が聞こえる。来た。3人は携帯アプリのFMラジオにくっつくようにして続きを聞く。
「はーいこんにちは。YAZAWAだよ皆さん今日も頑張ってるかい? お疲れさま。YAZAWAはこれから局を飛び出して横浜元町のカフェに行くんだ。お天気キャスターのジュンちゃんに一緒に行かないかと誘ったが断られちまった。お天気はいつ変わるか分からないものな。だから仕方ない。YAZAWAのせいじゃない。ジュンちゃんのせいでもない。だからまた誘うよ。そんなわけでひとりで行くことになっちまったけどいいんだ。YAZAWAはモンブランとチェリーパイとプリンアラモードを食べてくる。スイーツのことと今日の野球の結果とジュンちゃんとリエちゃんとアンナちゃんのことを考えながら、思い出したらみんなのことを応援するよ。できるだけ。そんなYAZAWAの番組だけど、みんな聞いてくれよな。今日のスペシャルコーナーを発表するよ。今日は今や恒例、『のど自慢』をやってもらうよ。うまい歌・魂のこもったシャウト・これを機に歌手デビューしてやろうなんていう悪だくみ、なんでもどんと来たれだ。今日はメールもFAXも受け付けないよ。すべて電話だ。YAZAWAと電話オペレーターのお姉ちゃんたちがしばらく歌なんて懲り懲りだって思うくらいにガンガン歌いまくってくれ。よろしくな。今から受け付け開始だ。今日勝ち抜いたら来週のVIPのど自慢に電話出場して他の誰かとガチンコ対決できる権利もあげるぜ。番組自体は6時からスタートするからそちらも聞き逃さないでくれよな。それでは1時間後にまた。stay tuned」
このDJのすごいところは、十五秒の番宣の尺でこれだけを言い切るところだ。あまりにもすごすぎてタカシたちは何度も真似をしようとしたけれど、結局うまくいったことはなかった。
「のど自慢だってよ、何歌う?」
「アクエリオンかなぁ」聞いたタカシに、ユキオが言う。いつもは電話かメールでのネタ投稿をしている三人だったが、普段とは毛色の違うプログラムに少し戸惑っている。
「そんなんじゃダメだろ、いくら何でも。格ってものがあるんだよ。最低でも洋楽だ。そういう奴じゃないと勝てない」とカズヒサが言う。
「俺は……どうしようかな……とりあえず電話だ電話、ユキオ、まずお前がやれ、俺の携帯は今ラジオ使ってるから使えないし」タカシはユキオをびしっと指さした。
「そんなこと言ってもなぁ……洋楽知らないし」と言いながらも、ユキオはタカシとカズヒサの鋭い視線を見ると、弱々しく首を縦に振る。「じゃあやっぱりアクエリオンで」
もう登録済みの電話番号に向けてユキオが電話をかけて、「はい、ユキオといいます」と弱々しく電話口に向かって話し、そのまま弱々しく歌い始めるのを二人は見ていた。それにしてもひどい歌だった。滑舌は悪いし息は途中で切れてふうふう言っていた。
「終わったよ」汗にまみれたユキオが憔悴しきったような声を出した。「オペレーターのお姉さんが、『勝ち抜いた場合には後ほどお電話します』って言ってた」
「あんなんで勝ち抜けるわけねーだろ」タカシはため息をつく。「携帯貸せ。今度は俺がいく」
「タカシは何を歌うんだ?」カズヒサが問う。「FMとは言っても、所詮人間界のくだらない電波。俺たちがそんなものに嘗められたら恥さらしだぞ」
「マイケルジャクソンを歌うよ。」
「すごい。洋楽歌えるの?」ユキオが問う。
「あぁ。最近心を動かされた曲だ」ユーチューブで遊戯王の動画を漁っていたときに、間違えてクリックしてしまった動画だった。でもPVが面白かったので何度も見ていた。
「なるほど。まぁFMごときにはちょうどいい選曲だな」満足そうに言うカズヒサにタカシは頷き、履歴を探し出して電話をかける。つながるまでのトゥルルルルでだんだん緊張が高まっていく。
ガチャッ、と電話を取る音がして、「こんにちはYAZAWAだよー。のど自慢の応募者かい?」
「え、あ、はい。歌いたいです」まさかのYAZAWA本人にかかってしまった。
「そうか、よーし頑張れ。YAZAWAは抜け出そうと思ったらディレクターに止められちまったよ。おれもしがないサラリーマンだからね。上の人の言うことにはどうやっても逆らえないのさ」
「……はぁ。そうですか」あまりの緊張で、YAZAWAの声はほとんど耳に入ってこなかった。
「君は何を歌うんだい?」
「マイケルジャクソンのスリラーを歌います」
「いいねぇスリラー。さっきから僕にかかってきたやつは軍歌、ブラックミュージック、へヴィメタだったよ。いたずらなんだろうね。へヴィメタなんてアカペラで聞いても何が何だかわかりゃしない――それじゃ、準備はいいかい?いいならば後悔のないように心置きなく歌ってくれ。」
「はい。」とタカシは返答した。ふう、と息をひとつ吐いてから歌いだす。「いつくろうずざみーなぁぃ、さむしんいんぼざふぁってんいんこざとーふ……」
歌っている間は体が軽かった。ムーンウォークで隣町まで歩いて行けそうな気がしていた。隣のユキオがバブルス君にさえ見え始める。英語はやはり、音楽に良く合う。
「いいねぇ君、実にいいよ」歌い終わるとYAZAWAが大声で笑った。「ムーンウォークでアメリカまで歩いて行けそうな気分だ。笑いは世界を美しくするね。イヤな気分が吹き飛んだ。」
「そうですか。それは良かった。」
「君は勝ちぬき決定だ。」
YAZAWAの声に、思わず身を固くする。「本当ですか?」
「あぁ。今日遅くに会議して決めなきゃいけないんだが、僕が熱烈に推しておくよ。君の対戦相手はそこで決まる。多分明日か明後日くらいにはオペレーターのお姉ちゃんから確認の電話がいくと思う。僕はもう一度君の歌が聞きたい。笑いたい。だから7月23日の午後8時、予定を開けておいてくれよ。あと、全員分はカラオケを用意できないから、各自でカラオケの音源は準備しておくこと。オーケーかい?――じゃあまた。これから君の対戦相手たちの歌を聞かなきゃいけないから」
そして電話は切れた。
タカシは熱に浮かされたように呟いた。「勝ち抜きが決まった。7月23日だって」
「えっ?本当に?すごい」ユキオが騒ぎ始めるが、カズヒサは腕を組んで考え込んでしまった。
「まずはおめでとう。タカシならば簡単にクリアできると思っていた。――しかしよく考えてみろ。7月23日は校内キャンプの日だ。我々はずっと拘束され続けてしまう」
「あ……本当だ――どうしよう、せっかく勝ち抜いたのに」呆然とするタカシに、カズヒサは力強く頷いた。
「いや、出られないと決まったわけじゃない。」カズヒサの目が強く光った。「所詮校内キャンプなんて愚民どものおままごとに過ぎん。崇高な目的があるならば、我々はそれを排除することも辞さない」
そのようにして、「砂漠の裁き」作戦は萌芽を見せた。
なお、カズヒサはその後、番組に電話をかけ、デスメタルで勝負していた。結果は伝えられなかった。
陽が落ちきって少しずつ冷え始めたからなのか、誰もがキャンプファイアーの周りに集まっている。高く積み上げられた薪の爆ぜる音が周囲の楽しげな笑い声やざわめきを通り抜ける。タカシは大皿のカレーにぱくつきながらカズヒサやユキオと一緒にマガジンとジャンプの話をしていた。しかしこれは周囲を忍ぶ仮の姿であって、本当は周囲の様子に神経を尖らせながら刻一刻と迫ってくる作戦開始時刻に備えていたのだ。ルフィと手塚部長が戦ったらどちらが勝つかなどという話をしながら、じつは周囲に絶え間なく目を配っていたのだ。そうは見えなかったのならば心眼でみていたのだ。
校舎の大時計を一瞥すると、作戦「砂漠の裁き」の行程と概要をカズヒサが再確認する。
「カレーを食い終わったらすぐにフォークダンスが始まる。ここで我々は離脱。フォークダンス開始後、無人となった目標、放送室を制圧する」プログラムを前にし、カズヒサが語る。「――そして、日本全国を支配するカオスソルジャーのスリラーを全校放送マイクで学校中に流す。平和に塗れて踊っていた愚民どもの世界は混沌に包まれる」
「放送室ではフォークダンスの音楽流すんでしょ? 誰かいるんじゃないの?」不安そうな面持ちでユキオが尋ねる。
「これを見てくれ」カズヒサが一枚の紙切れを出す。「敵の本部、職員室に侵入して機密情報を手に入れたんだ」
それは教師向けに作成された校内キャンプの分担表だった。
「ちょ……よくこんなもん手に入れられたな」タカシが驚いた声を出す。「しかもこれ谷山のじゃねーか」
蛍光ペンで谷山の名前のところにだけ線が引いてある。フォークダンス放送室担当、肝試し旧校舎2階担当、ラジオ体操担当、2日目特別活動の3時間目担当。谷山が担当する肝試し……血に餓えた熊が放された檻の中へ突入することを、本当に肝試しと言ってよいのだろうか? それはただの自殺志願者ではないだろうか。
「これを見ると、谷山はフォークダンスの放送室担当になってる」カズヒサはユキオに言い聞かせるように言う。「でも奴は俺と踊ることになってるんだ。多分あいつは油断してる。音楽をかけ始めたら戻ってきて踊るつもりだ。その間、目標はがら空き」
「でも……それならカズヒサがいないって探しに来られて尚更見つかるじゃないか」タカシが異議を唱えると、
「見つからなければいい」カズヒサはきっぱりと宣言する。「敵地の真ん中で敵に見つかる兵士は、よっぽどの不運か初心者だ」
「なるほど」頷いたタカシの目に、まだ皿の半分も食べ終わっていないユキオの姿が映る。「緊張してるのか。まぁ、気持ちは分からないでもないが……しかし食わないといざという時に力が出んぞ」
ユキオは弱々しく頷く。そしてカレーをゆっくりと口にはこぶ。
夜はいよいよ深まって、そこらじゅうを支配していた蝉の鳴き声はゆっくりとヒグラシの鳴き声に変わっていく。校庭を照らす明かりが全て灯って、そこに集まる人間の影は長く長く伸びる。風景は闇に溶けていき、校庭の一部分だけがぽっかりと開いた光の穴のようだった。「闇が世界を覆う」カズヒサがそう言ったが、それは特に作戦とは関係なかった。
割れた拡声器で教師の声がする。フォークダンスが始まるとのことだった。ユキオが校舎のてっぺんの大きな時計を確認すると、19時50分だった。
「そろそろだ」カズヒサはタカシに目くばせをして頷く。二人は校舎脇の花壇に植わったもみの木の陰に隠れて、生徒たちがゆっくりと校庭の中央、朝礼台の前に集まって行くのを見ている。
「……ユキオが来ない」トイレに行くと言い残し二人と別れたユキオがまだ来ない。タカシはじりじりする思いだった。
「ダンディライオンも誇り高い兵士の端くれ、まさか敵前逃亡するような真似はするわけないだろう」
カズヒサはそう言ったが、タカシはそんなこと聞いてはいなかった。あいつには逃亡する明確な理由がある。じっと目を凝らしてその姿を探す。キャンプファイアーのせいで逆光になって誰が誰だかよく見えなかったけれど、その姿はほどなくして見つかる。見慣れた後姿。「戸田さん……」探していたのはユキオではなくて戸田さんの姿だった。暗闇の中でもわずかな光を探し出し、集めて弾くような白い肌と、ふわふわの髪の毛と。見ればすぐにわかる。そして、その隣に当然のように立っているユキオ。戸田さんと何か話している。そして戸田さんは時々にっこりと笑う。ユキオは周りをちらちらと気にしながら、話をやめる気配はまるでない。
「ユキオ、あいつ……」
指差すタカシのその先を見て気付いたカズヒサも苦りきった顔をしている。「まさか敵前で逃げ出すとは……もう少し骨のある奴だと思ったのだが……やはり軍法会議にかけざるをえまい」
ゆっくりと輪が広がっていく。ユキオと戸田さんは暗闇の中で手をつなぐ。
「あいつ、やっぱり許さん」飛び出ようとするタカシを、カズヒサが木陰に引き戻す。
「誇りを失った兵士への怒り、分かる、気持ちは痛いほど分かるぞ。しかし、今我々まで感情に任せて走ったらどうなる? 作戦は水泡に帰してしまう。それが誇り高い兵士のやることなのか? せめて我々だけは、粛々と目的を遂行しなければならないんだ。だから――」
カズヒサの熱い言葉を割るように、アコーディオンの場違いに優しい音楽が響き渡る。オクラホマミキサーだった。ゆっくりとフォークダンスは始まっている。
「始まったか……行くぞ」
カズヒサは木陰に隠れるように中腰で玄関のほうに向かう。タカシは、いろいろと納得できない部分はあるにしても黙ってそれに着いていく。もはや逃げることは許されない。
(NN.4-3へ続く)
事の発端は3日前――作戦名が『砂漠の裁き』に決まる前日のことだった。
新校舎にある5年生の教室の周りには、4時になるとほとんど人がいなくなる。職員室も体育館も音楽室も旧校舎にあるので、何か目的があって残るようなまともな人たちはみんなそっちに行ってしまうのだ。
その日もいつものように5年2組の面々は授業が終わってから火の鳥やらはだしのゲンやらを読んで時間をつぶし、4時を過ぎたころに教室に戻って遊戯王カードで遊んでいた。最初はもっと多かったのだけど、塾やら習い事やらで少しずつ抜けていき、その時間まで残っていたのは3人だけになっていた。
教室に響くのは校庭から響いている野球の音、開け放たれた音楽室の窓から聞こえるピアノの音、カードを繰る音、そしてラジオの音だった。よく晴れていて、窓からの風はゆっくりと教室の中を吹き抜けていった。その時間にいつも流れる、洋楽も邦楽も入り混じったゆっくりした音楽番組を3人は気に入っていたけれど、3人が本当に好きなのはその後の番組だった。
Red hot chili peppersの曲がフェイドアウトしていったタイミングで、
『ピエールYAZAWAの、ジュテーム☆ニッポン!』
激しく胡散臭いBGMに乗って聞きなれた声が聞こえる。来た。3人は携帯アプリのFMラジオにくっつくようにして続きを聞く。
「はーいこんにちは。YAZAWAだよ皆さん今日も頑張ってるかい? お疲れさま。YAZAWAはこれから局を飛び出して横浜元町のカフェに行くんだ。お天気キャスターのジュンちゃんに一緒に行かないかと誘ったが断られちまった。お天気はいつ変わるか分からないものな。だから仕方ない。YAZAWAのせいじゃない。ジュンちゃんのせいでもない。だからまた誘うよ。そんなわけでひとりで行くことになっちまったけどいいんだ。YAZAWAはモンブランとチェリーパイとプリンアラモードを食べてくる。スイーツのことと今日の野球の結果とジュンちゃんとリエちゃんとアンナちゃんのことを考えながら、思い出したらみんなのことを応援するよ。できるだけ。そんなYAZAWAの番組だけど、みんな聞いてくれよな。今日のスペシャルコーナーを発表するよ。今日は今や恒例、『のど自慢』をやってもらうよ。うまい歌・魂のこもったシャウト・これを機に歌手デビューしてやろうなんていう悪だくみ、なんでもどんと来たれだ。今日はメールもFAXも受け付けないよ。すべて電話だ。YAZAWAと電話オペレーターのお姉ちゃんたちがしばらく歌なんて懲り懲りだって思うくらいにガンガン歌いまくってくれ。よろしくな。今から受け付け開始だ。今日勝ち抜いたら来週のVIPのど自慢に電話出場して他の誰かとガチンコ対決できる権利もあげるぜ。番組自体は6時からスタートするからそちらも聞き逃さないでくれよな。それでは1時間後にまた。stay tuned」
このDJのすごいところは、十五秒の番宣の尺でこれだけを言い切るところだ。あまりにもすごすぎてタカシたちは何度も真似をしようとしたけれど、結局うまくいったことはなかった。
「のど自慢だってよ、何歌う?」
「アクエリオンかなぁ」聞いたタカシに、ユキオが言う。いつもは電話かメールでのネタ投稿をしている三人だったが、普段とは毛色の違うプログラムに少し戸惑っている。
「そんなんじゃダメだろ、いくら何でも。格ってものがあるんだよ。最低でも洋楽だ。そういう奴じゃないと勝てない」とカズヒサが言う。
「俺は……どうしようかな……とりあえず電話だ電話、ユキオ、まずお前がやれ、俺の携帯は今ラジオ使ってるから使えないし」タカシはユキオをびしっと指さした。
「そんなこと言ってもなぁ……洋楽知らないし」と言いながらも、ユキオはタカシとカズヒサの鋭い視線を見ると、弱々しく首を縦に振る。「じゃあやっぱりアクエリオンで」
もう登録済みの電話番号に向けてユキオが電話をかけて、「はい、ユキオといいます」と弱々しく電話口に向かって話し、そのまま弱々しく歌い始めるのを二人は見ていた。それにしてもひどい歌だった。滑舌は悪いし息は途中で切れてふうふう言っていた。
「終わったよ」汗にまみれたユキオが憔悴しきったような声を出した。「オペレーターのお姉さんが、『勝ち抜いた場合には後ほどお電話します』って言ってた」
「あんなんで勝ち抜けるわけねーだろ」タカシはため息をつく。「携帯貸せ。今度は俺がいく」
「タカシは何を歌うんだ?」カズヒサが問う。「FMとは言っても、所詮人間界のくだらない電波。俺たちがそんなものに嘗められたら恥さらしだぞ」
「マイケルジャクソンを歌うよ。」
「すごい。洋楽歌えるの?」ユキオが問う。
「あぁ。最近心を動かされた曲だ」ユーチューブで遊戯王の動画を漁っていたときに、間違えてクリックしてしまった動画だった。でもPVが面白かったので何度も見ていた。
「なるほど。まぁFMごときにはちょうどいい選曲だな」満足そうに言うカズヒサにタカシは頷き、履歴を探し出して電話をかける。つながるまでのトゥルルルルでだんだん緊張が高まっていく。
ガチャッ、と電話を取る音がして、「こんにちはYAZAWAだよー。のど自慢の応募者かい?」
「え、あ、はい。歌いたいです」まさかのYAZAWA本人にかかってしまった。
「そうか、よーし頑張れ。YAZAWAは抜け出そうと思ったらディレクターに止められちまったよ。おれもしがないサラリーマンだからね。上の人の言うことにはどうやっても逆らえないのさ」
「……はぁ。そうですか」あまりの緊張で、YAZAWAの声はほとんど耳に入ってこなかった。
「君は何を歌うんだい?」
「マイケルジャクソンのスリラーを歌います」
「いいねぇスリラー。さっきから僕にかかってきたやつは軍歌、ブラックミュージック、へヴィメタだったよ。いたずらなんだろうね。へヴィメタなんてアカペラで聞いても何が何だかわかりゃしない――それじゃ、準備はいいかい?いいならば後悔のないように心置きなく歌ってくれ。」
「はい。」とタカシは返答した。ふう、と息をひとつ吐いてから歌いだす。「いつくろうずざみーなぁぃ、さむしんいんぼざふぁってんいんこざとーふ……」
歌っている間は体が軽かった。ムーンウォークで隣町まで歩いて行けそうな気がしていた。隣のユキオがバブルス君にさえ見え始める。英語はやはり、音楽に良く合う。
「いいねぇ君、実にいいよ」歌い終わるとYAZAWAが大声で笑った。「ムーンウォークでアメリカまで歩いて行けそうな気分だ。笑いは世界を美しくするね。イヤな気分が吹き飛んだ。」
「そうですか。それは良かった。」
「君は勝ちぬき決定だ。」
YAZAWAの声に、思わず身を固くする。「本当ですか?」
「あぁ。今日遅くに会議して決めなきゃいけないんだが、僕が熱烈に推しておくよ。君の対戦相手はそこで決まる。多分明日か明後日くらいにはオペレーターのお姉ちゃんから確認の電話がいくと思う。僕はもう一度君の歌が聞きたい。笑いたい。だから7月23日の午後8時、予定を開けておいてくれよ。あと、全員分はカラオケを用意できないから、各自でカラオケの音源は準備しておくこと。オーケーかい?――じゃあまた。これから君の対戦相手たちの歌を聞かなきゃいけないから」
そして電話は切れた。
タカシは熱に浮かされたように呟いた。「勝ち抜きが決まった。7月23日だって」
「えっ?本当に?すごい」ユキオが騒ぎ始めるが、カズヒサは腕を組んで考え込んでしまった。
「まずはおめでとう。タカシならば簡単にクリアできると思っていた。――しかしよく考えてみろ。7月23日は校内キャンプの日だ。我々はずっと拘束され続けてしまう」
「あ……本当だ――どうしよう、せっかく勝ち抜いたのに」呆然とするタカシに、カズヒサは力強く頷いた。
「いや、出られないと決まったわけじゃない。」カズヒサの目が強く光った。「所詮校内キャンプなんて愚民どものおままごとに過ぎん。崇高な目的があるならば、我々はそれを排除することも辞さない」
そのようにして、「砂漠の裁き」作戦は萌芽を見せた。
なお、カズヒサはその後、番組に電話をかけ、デスメタルで勝負していた。結果は伝えられなかった。
陽が落ちきって少しずつ冷え始めたからなのか、誰もがキャンプファイアーの周りに集まっている。高く積み上げられた薪の爆ぜる音が周囲の楽しげな笑い声やざわめきを通り抜ける。タカシは大皿のカレーにぱくつきながらカズヒサやユキオと一緒にマガジンとジャンプの話をしていた。しかしこれは周囲を忍ぶ仮の姿であって、本当は周囲の様子に神経を尖らせながら刻一刻と迫ってくる作戦開始時刻に備えていたのだ。ルフィと手塚部長が戦ったらどちらが勝つかなどという話をしながら、じつは周囲に絶え間なく目を配っていたのだ。そうは見えなかったのならば心眼でみていたのだ。
校舎の大時計を一瞥すると、作戦「砂漠の裁き」の行程と概要をカズヒサが再確認する。
「カレーを食い終わったらすぐにフォークダンスが始まる。ここで我々は離脱。フォークダンス開始後、無人となった目標、放送室を制圧する」プログラムを前にし、カズヒサが語る。「――そして、日本全国を支配するカオスソルジャーのスリラーを全校放送マイクで学校中に流す。平和に塗れて踊っていた愚民どもの世界は混沌に包まれる」
「放送室ではフォークダンスの音楽流すんでしょ? 誰かいるんじゃないの?」不安そうな面持ちでユキオが尋ねる。
「これを見てくれ」カズヒサが一枚の紙切れを出す。「敵の本部、職員室に侵入して機密情報を手に入れたんだ」
それは教師向けに作成された校内キャンプの分担表だった。
「ちょ……よくこんなもん手に入れられたな」タカシが驚いた声を出す。「しかもこれ谷山のじゃねーか」
蛍光ペンで谷山の名前のところにだけ線が引いてある。フォークダンス放送室担当、肝試し旧校舎2階担当、ラジオ体操担当、2日目特別活動の3時間目担当。谷山が担当する肝試し……血に餓えた熊が放された檻の中へ突入することを、本当に肝試しと言ってよいのだろうか? それはただの自殺志願者ではないだろうか。
「これを見ると、谷山はフォークダンスの放送室担当になってる」カズヒサはユキオに言い聞かせるように言う。「でも奴は俺と踊ることになってるんだ。多分あいつは油断してる。音楽をかけ始めたら戻ってきて踊るつもりだ。その間、目標はがら空き」
「でも……それならカズヒサがいないって探しに来られて尚更見つかるじゃないか」タカシが異議を唱えると、
「見つからなければいい」カズヒサはきっぱりと宣言する。「敵地の真ん中で敵に見つかる兵士は、よっぽどの不運か初心者だ」
「なるほど」頷いたタカシの目に、まだ皿の半分も食べ終わっていないユキオの姿が映る。「緊張してるのか。まぁ、気持ちは分からないでもないが……しかし食わないといざという時に力が出んぞ」
ユキオは弱々しく頷く。そしてカレーをゆっくりと口にはこぶ。
夜はいよいよ深まって、そこらじゅうを支配していた蝉の鳴き声はゆっくりとヒグラシの鳴き声に変わっていく。校庭を照らす明かりが全て灯って、そこに集まる人間の影は長く長く伸びる。風景は闇に溶けていき、校庭の一部分だけがぽっかりと開いた光の穴のようだった。「闇が世界を覆う」カズヒサがそう言ったが、それは特に作戦とは関係なかった。
割れた拡声器で教師の声がする。フォークダンスが始まるとのことだった。ユキオが校舎のてっぺんの大きな時計を確認すると、19時50分だった。
「そろそろだ」カズヒサはタカシに目くばせをして頷く。二人は校舎脇の花壇に植わったもみの木の陰に隠れて、生徒たちがゆっくりと校庭の中央、朝礼台の前に集まって行くのを見ている。
「……ユキオが来ない」トイレに行くと言い残し二人と別れたユキオがまだ来ない。タカシはじりじりする思いだった。
「ダンディライオンも誇り高い兵士の端くれ、まさか敵前逃亡するような真似はするわけないだろう」
カズヒサはそう言ったが、タカシはそんなこと聞いてはいなかった。あいつには逃亡する明確な理由がある。じっと目を凝らしてその姿を探す。キャンプファイアーのせいで逆光になって誰が誰だかよく見えなかったけれど、その姿はほどなくして見つかる。見慣れた後姿。「戸田さん……」探していたのはユキオではなくて戸田さんの姿だった。暗闇の中でもわずかな光を探し出し、集めて弾くような白い肌と、ふわふわの髪の毛と。見ればすぐにわかる。そして、その隣に当然のように立っているユキオ。戸田さんと何か話している。そして戸田さんは時々にっこりと笑う。ユキオは周りをちらちらと気にしながら、話をやめる気配はまるでない。
「ユキオ、あいつ……」
指差すタカシのその先を見て気付いたカズヒサも苦りきった顔をしている。「まさか敵前で逃げ出すとは……もう少し骨のある奴だと思ったのだが……やはり軍法会議にかけざるをえまい」
ゆっくりと輪が広がっていく。ユキオと戸田さんは暗闇の中で手をつなぐ。
「あいつ、やっぱり許さん」飛び出ようとするタカシを、カズヒサが木陰に引き戻す。
「誇りを失った兵士への怒り、分かる、気持ちは痛いほど分かるぞ。しかし、今我々まで感情に任せて走ったらどうなる? 作戦は水泡に帰してしまう。それが誇り高い兵士のやることなのか? せめて我々だけは、粛々と目的を遂行しなければならないんだ。だから――」
カズヒサの熱い言葉を割るように、アコーディオンの場違いに優しい音楽が響き渡る。オクラホマミキサーだった。ゆっくりとフォークダンスは始まっている。
「始まったか……行くぞ」
カズヒサは木陰に隠れるように中腰で玄関のほうに向かう。タカシは、いろいろと納得できない部分はあるにしても黙ってそれに着いていく。もはや逃げることは許されない。
(NN.4-3へ続く)
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