「ということで、決行する」タカシは椅子に敷いたクッション代わりの防災頭巾を蹴っ飛ばして立ち上がる。目の前に座った二人をびしっと指さす。無人の教室に声が響き渡る。「午後8時」
「本当にやるの?」不安そうな声を上げるユキオにタカシは指をそのままびしっと差して、
「もう決まったことなんだよ。7月の……24日だっけ」
「違う、やるのは23日。一般には革命記念日とされている日だ」
カズヒサが訂正する。
「そう、それだ。7月23日の午後8時。」
「作戦名はどうする?」カズヒサが身を乗り出すと、
「作戦名?」ユキオはさっきからずっと不安そうな声。
「秘密作戦なんだからコードネームは必要だろ。どこにスパイが紛れ込んでるか分かったもんじゃない」
確かにあったほうがかっこいい。タカシは指をそのままカズヒサに向ける。「そう。忘れるところだった。偉いぞカズヒサ」
カズヒサはゆっくりと頷く。「例えば――『砂漠の裁き』」
「『イタクァの暴風』」タカシも考えを口にする。
「『黒き森のウィッチ』」同様にカズヒサが呼応する。
「『グラヴィティ・バインド―超重力の網』ユキオも何か考えろよ」タカシはユキオを睨む。
「えーっと……『冥王竜ヴァンダルギオン』」
「ただの遊戯王カードじゃねーか!」思わずぶち切れるタカシに、「二人のやつも同じじゃん……」とユキオは弱々しく抗議する。
そんなふうにして作戦名は『砂漠の裁き』に決まった。
「あとはあれだ。さっきみたいにカズヒサって呼ぶのもやめにしないか?」窓枠に座って腕を組みながら、カズヒサが喋る。「秘密作戦なんだから。盗聴されていたらどうするんだ?」
「確かに通称が必要だ」タカシはカズヒサをきっと見据える。「オレが決める。リーダーなんだから。じゃあカズヒサは……コードネーム、カオスソルジャー」
「キラースネークのほうがいい、なんといっても砂漠だし」
「じゃあそれで」流されるの早っ!と呟くユキオのほうを敢えて見ないようにして「カオスソルジャーの名前はおれがもらうことにする。ユキオは……ダンディライオンでいいや」
「弱っ!」
「いいだろ、一応制限カードなんだから。それにコードネームなんていうのは世間を欺くためのただの記号に過ぎん」カズヒサが口をはさむ。「これですべて決まったな」
「よし、みんな。苦労をかけると思うけど頑張って着いてきてほしい」タカシはそこで息を吸いこんで、
「7月23日の午後8時、作戦コード砂漠の裁きを実行に移す。現時刻をもって第一種戦闘態勢に入る、口外したやつはスパイとして軍法会議だ。」
分かったな、ユキオ? 今のおまえはもうユキオじゃなくてダンディライオンなんだぞ、と目で聞いてくるタカシにユキオはゆっくり頷く。何よりも軍法会議という響きが怖すぎる。
夕日に染まり始めた教室の中で、ひとつの極秘作戦の挙行が決定した。窓から吹き抜ける風は熱気を少しずつ教室から奪っていき、黒板上に設置された時計の秒針が立てるカチカチという音が聞こえ始める。ようやく仕事が一つ片付いた、という思いと、もうこんな時間なのに夕焼けか、随分早くなったな、という二つの思いを胸に抱いて赤く染まり行く窓の外をタカシが眺めていると、
突然、静寂を破るように教室のドアが開いた。
「おぉ前らぁ、こぉんなところでなにをやっとるぅ、早く帰らんかあぁ」
と、5年の担任代表の谷山が入ってくる。まるで巨大な山だ。動くたびに世界が揺れる。毎日着ている茶色のジャージは熊から剥ぎ取った皮で作られているらしい。
突然の敵来襲に一瞬だけビクゥッ!となりながらも、なんとかタカシは冷静な声を出す。
「こんなところに長居は無用だ、帰ろう」
グォォォォと唸り声を上げる谷山の視線をやり過ごすように、後ろの出口からこそこそと帰る。ちらりと後ろを振り返ると、谷山は大きな手をボキボキと鳴らしていた。「次にこうなるのはお前の首だ」と言っているように見えた。
教室はさっきからざわめいている。そこらじゅうで声が上がっている。しかしタカシにはそんなものはまったく問題にならなかったし聞こえてもいなかった。熾り火が薪の下でゆっくりと、しかし確実に酸素を燃やしながら成長していくのにも似たタカシのエネルギーのざわめきに比べれば。
勝負どころはここなんだ、とタカシは考える。一瞬の勝負。たったそれだけで運命が決まる。指先にすべてを賭ける。自分の存在それ自体を。自分ならできる、間違いない。そしてタカシはゆっくりと歩いていく。目の前の黒板を見据える。校内キャンプ・フォークダンスのペアくじ引き決定戦、と書いてある。
タカシが願うことはただ一つ。
17番。
そう。17番さえ引くことができればいいんだ。できる。ここにかけるエネルギーのため、ただそれだけのために給食のジョアを三本もおかわりしたんだ。そもそもそれはジョア争奪19人じゃんけんで3連勝をした偉業の対価なんだ。これは流れが来ている。自分に流れが来ている。だから引けるに違いない。
タカシは黒板の前に置かれた鳩サブレーの箱に手を入れた。そこでふと思いついた。
そう。何も頼るのは運ばかりじゃない。ストレートにいくだけじゃない、頭を使ったやつが最後には勝つんだ。
中を覗けないだろうか? 鳩サブレーの箱をぐるぐる見回してみる。ご丁寧に目張りまでしてある。誰が作ったんだこんなの。そして箱に描かれた鳩と目が合う。赤く書かれた鳩の目と見つめあう形になる。何かいい案はないだろうか? そう問いかけてみるけれど、もちろん何も答えてはくれない。
クルッポー。まるで自分が鳩になったように、鳴き声がタカシの頭を占拠して気分が悪くなっただけだった。
じゃあ見張り役の隙をついて17番を強奪できないかとちらりと伺う。今度は目の前に立った見張り役のイガワと目が合う。胸の前で手を厳重に組んで仁王立ちしている。でかい。この年で既に身長は2メートルを突破したと聞いた。怖い。完全体になったらどのくらいになるのか。膝丈のスカートはストライプで、鬼の腰巻きも随分現代的にアレンジされたものだと感心した。金棒を持っていないのが不思議なくらいだ。
「何やってんの? あたしは気が短いから、早く取らないとぶったたくよ」その声で教室のざわめきが静まった。
多分、イガワが素手であるのは、金棒なんてなくても負けることなんてないという自信の表れなのだ。
「……分かったよ」
いらない邪魔が入ってしまったが仕方ない。こうなったら自分の力だけで引けばいいんだ。それくらいできる。
ちらりと黒板を見る。先にくじを引き終わった女子のほうはすべて埋まっているが、男子のほうはまだほとんど埋まっていない。もちろん17番も開いたままだ。今度は17番の相手――すなわち自分の相手になるであろう戸田さんのほうを見る。午後のけだるい陽光の中で、白くてふわふわしたその姿は旧い宗教画のようで、別の言い方をするならば午後の日差しそのものだった。周りの友達と笑いながら話しているその姿を見ただけで特別な力を受け取ったようにも感じたし、この勝負には負けられないという決意も新たにした。
再び指に自分の全存在を賭ける。そしてがさがさと中の紙をかき分けていく。
どれだ。
そしてある瞬間、指に特別な電流が走った。
間違いない、これだ。
それは他の紙と何ら変わるものではないように他のやつらには感じられるだろう。しかし俺には分かる。これしかない。運命を宿している。この紙が。取ってくれとタカシに語りかけている。それは離れ離れになっても永遠に引き合う磁石の両極のよう。
運命を切り開くべきその紙を、思いっきり引きぬいた。
その紙は2番だった。
「2番かよ!」と悲痛な叫びを上げたのはタカシではない。タカシも同じように叫びだしたかったのだけど、イガワの大きな叫びにかき消されてしまったのだ。タカシは叫ぼうとしたはずが逆に耳を塞いでいた。耳だけではない、身体がばらばらになるような音だ。音波兵器。それは巨大な音を出すことで対象物を破壊する兵器の総称だ。まさかこんなところで実用化されていたなんて。
カツカツと大きな音を立てて自分の名前が2番のところに書きこまれていく。違うんだこれはただの目の錯覚なんだ蜃気楼なんだもしくは集団催眠なんだ、と何度も確認しようとしたけれど、やはりどう17番に見ようとしてもそれは2番だった。そもそも数字が完全に一桁だった。魔法で幻覚を見せられているのか。
「タカシ、あんたあたしと踊るんだからね、ちゃんとやってくれないとマジで怒るから」そのイガワの声にはっと黒板を見上げる。チョークでカツカツカツと叩いている2番、自分の名前の隣には、一番あってはいけない名前があった。
「お前かよ!」
「それはこっちのセリフ。あんたいつも真面目にやらないんだからたまにはちゃんとやりなさいよ、やらないと私まで怒られるんだから、少しはその辺を分かりなさいよ、だいたいあんたこの前だって――おいちょっと待ちなさいこら」
上から声が降ってくる。
もうだめだ完全に終わった。なんでフォークダンスの相手がイガワなんだ。
教室のざわめきはタカシにはまったく聞こえなかった。先ほどとは違う意味で。
ふらふらと机まで戻って腰を下ろす。じりじりと午後の太陽を浴びて、机も椅子も熱い。焼かれそうだ。
「どうしたカオスソルジャー、お前らしくもない」すぐにカズヒサが声をかけてきた。
「何で俺がイガワとフォークダンス踊らなきゃいけないんだよ、俺は猛獣使いか」最後は半ば黒板のほうへ吐き捨てるように。黒板の前に立つイガワが黒板消しでも投げてくるんじゃないかと左手に算数の教科書をスタンバイしておいたけれど、くじ引きの対処に忙しくてそれどころではなさそうだった。もはやタカシのほうを見てもいない。
どちらかというと拍子抜けしたタカシは、「お前は誰と組むことになったんだ?」とカズヒサに尋ねる。
「知らない、くじも引いてない」カズヒサは首を横に振る。「引く気もない」
「いいのかよ、イガワがぶち切れて暴れだしても助けないからな」
「お前、忘れたのか?」カズヒサはさらに首をぶんぶんと振りながら机の中を探る。「俺たちの役目は社会に溺れることじゃない、ましてやフォークダンスを踊ることでもない」
ごそごそとさらに机の中を漁る。あれ、あれ、と呟きながら。いくつかのプリントやテストなんかを引っ張り出し続けて、「あぁ、あった」
くしゃくしゃに折り目がついたその紙は、校内キャンプのプログラムだった。「これ、ちゃんと見たか?」
「全然見てない」タカシは思い返してみるけれど、どこへしまったのかも分からない。机の中をものすごく探せば出てくるかもしれない。
「消灯時間早すぎるだろ、なんだよ十一時って」プログラムをぱらぱらとめくってタカシが言う。
「そうじゃない、重要なのはここだ」カズヒサが指さしたのは20:00の文字。「フォークダンスは8時からだ」
タカシの頭の中に電流が走った。午後8時! 作戦決行時刻と同じじゃないか。
「だから俺たちは踊らない」カズヒサは決然と言い切る。
ゆっくりと頷きながら、タカシは正直なところ迷っていた。イガワの放った強烈なローキックが膝を打ち、熊さえ絞め殺すといわれるその握力が襟元を襲っている図が容易に想像できたからだ。しかし、あるいはそれはフォークダンスを踊っている姿なのかもしれない。どうするのがいちばんいいのか。むしろ安全なのか。なんかもうよくわからなかった。
「17番ね、オッケー」
――17番来やがった!
17番という言葉がタカシの脳を揺り動かした。タカシが光の速さで黒板を見ると、
そこには嬉しそうに頭をぽりぽりかいているユキオの姿が!
「ユキオくん私とやることになったのねー。うまく踊れるかわからないけどがんばろー」
17番の相手は――戸田さんは、窓際の席からユキオに手なんか振ってしまっている。
違う。本来戸田さんが手を振るべきだったのは俺だったんだ、断じてユキオではない。
「うん、がんばろー」ユキオもにやけて手なんか振っている。
何ががんばろーだその17番は本来俺のものになる予定だったんだ、どうしよう奪い取るか、でももう黒板に書かれてるし書いたやつはイガワだし、
「なんとしても『砂漠の裁き』を成功させなきゃいけないな、キラースネーク」
タカシは作戦の成功を心に深く誓った。カズヒサはゆっくりと頷いた。
一方、カズヒサがくじを引くことはなかったが、男子の数がひとり多いために谷山の相手に指名されていた。
(NN.4-2へ続く)
「本当にやるの?」不安そうな声を上げるユキオにタカシは指をそのままびしっと差して、
「もう決まったことなんだよ。7月の……24日だっけ」
「違う、やるのは23日。一般には革命記念日とされている日だ」
カズヒサが訂正する。
「そう、それだ。7月23日の午後8時。」
「作戦名はどうする?」カズヒサが身を乗り出すと、
「作戦名?」ユキオはさっきからずっと不安そうな声。
「秘密作戦なんだからコードネームは必要だろ。どこにスパイが紛れ込んでるか分かったもんじゃない」
確かにあったほうがかっこいい。タカシは指をそのままカズヒサに向ける。「そう。忘れるところだった。偉いぞカズヒサ」
カズヒサはゆっくりと頷く。「例えば――『砂漠の裁き』」
「『イタクァの暴風』」タカシも考えを口にする。
「『黒き森のウィッチ』」同様にカズヒサが呼応する。
「『グラヴィティ・バインド―超重力の網』ユキオも何か考えろよ」タカシはユキオを睨む。
「えーっと……『冥王竜ヴァンダルギオン』」
「ただの遊戯王カードじゃねーか!」思わずぶち切れるタカシに、「二人のやつも同じじゃん……」とユキオは弱々しく抗議する。
そんなふうにして作戦名は『砂漠の裁き』に決まった。
「あとはあれだ。さっきみたいにカズヒサって呼ぶのもやめにしないか?」窓枠に座って腕を組みながら、カズヒサが喋る。「秘密作戦なんだから。盗聴されていたらどうするんだ?」
「確かに通称が必要だ」タカシはカズヒサをきっと見据える。「オレが決める。リーダーなんだから。じゃあカズヒサは……コードネーム、カオスソルジャー」
「キラースネークのほうがいい、なんといっても砂漠だし」
「じゃあそれで」流されるの早っ!と呟くユキオのほうを敢えて見ないようにして「カオスソルジャーの名前はおれがもらうことにする。ユキオは……ダンディライオンでいいや」
「弱っ!」
「いいだろ、一応制限カードなんだから。それにコードネームなんていうのは世間を欺くためのただの記号に過ぎん」カズヒサが口をはさむ。「これですべて決まったな」
「よし、みんな。苦労をかけると思うけど頑張って着いてきてほしい」タカシはそこで息を吸いこんで、
「7月23日の午後8時、作戦コード砂漠の裁きを実行に移す。現時刻をもって第一種戦闘態勢に入る、口外したやつはスパイとして軍法会議だ。」
分かったな、ユキオ? 今のおまえはもうユキオじゃなくてダンディライオンなんだぞ、と目で聞いてくるタカシにユキオはゆっくり頷く。何よりも軍法会議という響きが怖すぎる。
夕日に染まり始めた教室の中で、ひとつの極秘作戦の挙行が決定した。窓から吹き抜ける風は熱気を少しずつ教室から奪っていき、黒板上に設置された時計の秒針が立てるカチカチという音が聞こえ始める。ようやく仕事が一つ片付いた、という思いと、もうこんな時間なのに夕焼けか、随分早くなったな、という二つの思いを胸に抱いて赤く染まり行く窓の外をタカシが眺めていると、
突然、静寂を破るように教室のドアが開いた。
「おぉ前らぁ、こぉんなところでなにをやっとるぅ、早く帰らんかあぁ」
と、5年の担任代表の谷山が入ってくる。まるで巨大な山だ。動くたびに世界が揺れる。毎日着ている茶色のジャージは熊から剥ぎ取った皮で作られているらしい。
突然の敵来襲に一瞬だけビクゥッ!となりながらも、なんとかタカシは冷静な声を出す。
「こんなところに長居は無用だ、帰ろう」
グォォォォと唸り声を上げる谷山の視線をやり過ごすように、後ろの出口からこそこそと帰る。ちらりと後ろを振り返ると、谷山は大きな手をボキボキと鳴らしていた。「次にこうなるのはお前の首だ」と言っているように見えた。
教室はさっきからざわめいている。そこらじゅうで声が上がっている。しかしタカシにはそんなものはまったく問題にならなかったし聞こえてもいなかった。熾り火が薪の下でゆっくりと、しかし確実に酸素を燃やしながら成長していくのにも似たタカシのエネルギーのざわめきに比べれば。
勝負どころはここなんだ、とタカシは考える。一瞬の勝負。たったそれだけで運命が決まる。指先にすべてを賭ける。自分の存在それ自体を。自分ならできる、間違いない。そしてタカシはゆっくりと歩いていく。目の前の黒板を見据える。校内キャンプ・フォークダンスのペアくじ引き決定戦、と書いてある。
タカシが願うことはただ一つ。
17番。
そう。17番さえ引くことができればいいんだ。できる。ここにかけるエネルギーのため、ただそれだけのために給食のジョアを三本もおかわりしたんだ。そもそもそれはジョア争奪19人じゃんけんで3連勝をした偉業の対価なんだ。これは流れが来ている。自分に流れが来ている。だから引けるに違いない。
タカシは黒板の前に置かれた鳩サブレーの箱に手を入れた。そこでふと思いついた。
そう。何も頼るのは運ばかりじゃない。ストレートにいくだけじゃない、頭を使ったやつが最後には勝つんだ。
中を覗けないだろうか? 鳩サブレーの箱をぐるぐる見回してみる。ご丁寧に目張りまでしてある。誰が作ったんだこんなの。そして箱に描かれた鳩と目が合う。赤く書かれた鳩の目と見つめあう形になる。何かいい案はないだろうか? そう問いかけてみるけれど、もちろん何も答えてはくれない。
クルッポー。まるで自分が鳩になったように、鳴き声がタカシの頭を占拠して気分が悪くなっただけだった。
じゃあ見張り役の隙をついて17番を強奪できないかとちらりと伺う。今度は目の前に立った見張り役のイガワと目が合う。胸の前で手を厳重に組んで仁王立ちしている。でかい。この年で既に身長は2メートルを突破したと聞いた。怖い。完全体になったらどのくらいになるのか。膝丈のスカートはストライプで、鬼の腰巻きも随分現代的にアレンジされたものだと感心した。金棒を持っていないのが不思議なくらいだ。
「何やってんの? あたしは気が短いから、早く取らないとぶったたくよ」その声で教室のざわめきが静まった。
多分、イガワが素手であるのは、金棒なんてなくても負けることなんてないという自信の表れなのだ。
「……分かったよ」
いらない邪魔が入ってしまったが仕方ない。こうなったら自分の力だけで引けばいいんだ。それくらいできる。
ちらりと黒板を見る。先にくじを引き終わった女子のほうはすべて埋まっているが、男子のほうはまだほとんど埋まっていない。もちろん17番も開いたままだ。今度は17番の相手――すなわち自分の相手になるであろう戸田さんのほうを見る。午後のけだるい陽光の中で、白くてふわふわしたその姿は旧い宗教画のようで、別の言い方をするならば午後の日差しそのものだった。周りの友達と笑いながら話しているその姿を見ただけで特別な力を受け取ったようにも感じたし、この勝負には負けられないという決意も新たにした。
再び指に自分の全存在を賭ける。そしてがさがさと中の紙をかき分けていく。
どれだ。
そしてある瞬間、指に特別な電流が走った。
間違いない、これだ。
それは他の紙と何ら変わるものではないように他のやつらには感じられるだろう。しかし俺には分かる。これしかない。運命を宿している。この紙が。取ってくれとタカシに語りかけている。それは離れ離れになっても永遠に引き合う磁石の両極のよう。
運命を切り開くべきその紙を、思いっきり引きぬいた。
その紙は2番だった。
「2番かよ!」と悲痛な叫びを上げたのはタカシではない。タカシも同じように叫びだしたかったのだけど、イガワの大きな叫びにかき消されてしまったのだ。タカシは叫ぼうとしたはずが逆に耳を塞いでいた。耳だけではない、身体がばらばらになるような音だ。音波兵器。それは巨大な音を出すことで対象物を破壊する兵器の総称だ。まさかこんなところで実用化されていたなんて。
カツカツと大きな音を立てて自分の名前が2番のところに書きこまれていく。違うんだこれはただの目の錯覚なんだ蜃気楼なんだもしくは集団催眠なんだ、と何度も確認しようとしたけれど、やはりどう17番に見ようとしてもそれは2番だった。そもそも数字が完全に一桁だった。魔法で幻覚を見せられているのか。
「タカシ、あんたあたしと踊るんだからね、ちゃんとやってくれないとマジで怒るから」そのイガワの声にはっと黒板を見上げる。チョークでカツカツカツと叩いている2番、自分の名前の隣には、一番あってはいけない名前があった。
「お前かよ!」
「それはこっちのセリフ。あんたいつも真面目にやらないんだからたまにはちゃんとやりなさいよ、やらないと私まで怒られるんだから、少しはその辺を分かりなさいよ、だいたいあんたこの前だって――おいちょっと待ちなさいこら」
上から声が降ってくる。
もうだめだ完全に終わった。なんでフォークダンスの相手がイガワなんだ。
教室のざわめきはタカシにはまったく聞こえなかった。先ほどとは違う意味で。
ふらふらと机まで戻って腰を下ろす。じりじりと午後の太陽を浴びて、机も椅子も熱い。焼かれそうだ。
「どうしたカオスソルジャー、お前らしくもない」すぐにカズヒサが声をかけてきた。
「何で俺がイガワとフォークダンス踊らなきゃいけないんだよ、俺は猛獣使いか」最後は半ば黒板のほうへ吐き捨てるように。黒板の前に立つイガワが黒板消しでも投げてくるんじゃないかと左手に算数の教科書をスタンバイしておいたけれど、くじ引きの対処に忙しくてそれどころではなさそうだった。もはやタカシのほうを見てもいない。
どちらかというと拍子抜けしたタカシは、「お前は誰と組むことになったんだ?」とカズヒサに尋ねる。
「知らない、くじも引いてない」カズヒサは首を横に振る。「引く気もない」
「いいのかよ、イガワがぶち切れて暴れだしても助けないからな」
「お前、忘れたのか?」カズヒサはさらに首をぶんぶんと振りながら机の中を探る。「俺たちの役目は社会に溺れることじゃない、ましてやフォークダンスを踊ることでもない」
ごそごそとさらに机の中を漁る。あれ、あれ、と呟きながら。いくつかのプリントやテストなんかを引っ張り出し続けて、「あぁ、あった」
くしゃくしゃに折り目がついたその紙は、校内キャンプのプログラムだった。「これ、ちゃんと見たか?」
「全然見てない」タカシは思い返してみるけれど、どこへしまったのかも分からない。机の中をものすごく探せば出てくるかもしれない。
「消灯時間早すぎるだろ、なんだよ十一時って」プログラムをぱらぱらとめくってタカシが言う。
「そうじゃない、重要なのはここだ」カズヒサが指さしたのは20:00の文字。「フォークダンスは8時からだ」
タカシの頭の中に電流が走った。午後8時! 作戦決行時刻と同じじゃないか。
「だから俺たちは踊らない」カズヒサは決然と言い切る。
ゆっくりと頷きながら、タカシは正直なところ迷っていた。イガワの放った強烈なローキックが膝を打ち、熊さえ絞め殺すといわれるその握力が襟元を襲っている図が容易に想像できたからだ。しかし、あるいはそれはフォークダンスを踊っている姿なのかもしれない。どうするのがいちばんいいのか。むしろ安全なのか。なんかもうよくわからなかった。
「17番ね、オッケー」
――17番来やがった!
17番という言葉がタカシの脳を揺り動かした。タカシが光の速さで黒板を見ると、
そこには嬉しそうに頭をぽりぽりかいているユキオの姿が!
「ユキオくん私とやることになったのねー。うまく踊れるかわからないけどがんばろー」
17番の相手は――戸田さんは、窓際の席からユキオに手なんか振ってしまっている。
違う。本来戸田さんが手を振るべきだったのは俺だったんだ、断じてユキオではない。
「うん、がんばろー」ユキオもにやけて手なんか振っている。
何ががんばろーだその17番は本来俺のものになる予定だったんだ、どうしよう奪い取るか、でももう黒板に書かれてるし書いたやつはイガワだし、
「なんとしても『砂漠の裁き』を成功させなきゃいけないな、キラースネーク」
タカシは作戦の成功を心に深く誓った。カズヒサはゆっくりと頷いた。
一方、カズヒサがくじを引くことはなかったが、男子の数がひとり多いために谷山の相手に指名されていた。
(NN.4-2へ続く)
コメント