※90分テキスト1本勝負:テーマ「海」
作成時間は94分。野球が気になって10分ロスしたことを考えれば、まぁ上出来か。
私の席は窓際にあって、眼下には砂浜が広がっている。
だから授業中退屈した時には海を見て過ごすのだ。
例えば走り回る子供たちだったり、犬の散歩をするお爺さんだったり、手を繋いで歩いて行くカップルだったり。海は見るたびに違う顔をしているから、ずっと見ていても飽きることは無い。
今だって海を見ている。放課後、太陽が赤く色づき始めたこんな時間に、小学校以来久々の輪飾りを編みながら。
この時間に海を見るときはいつも、頬杖をついてみたり、顔を上げて水平線の向こうを覗くふりをしたり、いつだって言い訳がましいやり方で見ているけれど、今日はそんなことしない。
太陽が傾くちょうど今くらいの時間には、砂浜はいつも賑やかになる。海から上がり始めるサーファーたちでごった返すのだ。
でも今日は安心して見ていられる。
砂浜の端にはサーフショップがあって、そこにある緑色のサーフボード。今日はずっと置きっぱなしだ。持ち主はバイトも練習も休んで、教室の端っこで段ボールを切っている。
文化祭の準備は始まったばかりだ。別にまだ慌てるような時期ではないから、教室には他に誰も残っていない。私だって別に残る必要はないけれど、
たまたま時間が空いたから残っているのだ。
そう。それに、キョウカちゃんを待たなければいけないから。キョウカちゃんは茶道部で、そっちの準備があるから行かなきゃいけないって言ってた。
ぎこぎことカッターで段ボールを切っていく音。ちらりと振り返るたびに切り取られた飾り付けは増えていく。
島田くんって器用なんだね、すごい。
別に今日こんなに残らなくてもいいのに、頑張ってるね。
いつも帰り早いけど、島田くんって帰ってから何やってるの?
色々な言葉が浮かんでは消えていく。掛けるべきタイミングを失った言葉たちは堆く積み重なって、私と島田くんの間で壁みたいだ。
廊下の足音がやたらと高く響く。その度に誰か入っては来ないかと息が詰まる。そしてまた壁は大きくなる。
さっきから手元の輪飾りは一向に伸びない。
何か切り出せば楽になるんじゃないかと息を深く吸う。もうそれは何度目だったか分からないけれど、ちょうどその時に教室の扉が開く。
「あら、ナナコ。まだいたんだ」キョウカちゃんだった。深く吸った息が漏れていくようだ。「ちょうど良かった、ぶどう食べない?」
キョウカちゃんは右手を振り上げる。西友の袋が、ぶんと振り子みたいに上がる。
「どうしたのそれ」
「茶道部でもらったんだ。先輩の実家から大量に送ってきたからお土産だって」
そして私の後ろの席によっこらしょと座る。
「島田君も食べようよ。なんかたくさんあるから、女の子二人じゃ多分食べきれない」
キョウカちゃんのその言葉に、え、と私は狼狽する。それを見て、「いいじゃない減るものじゃないんだから」と笑う。
「いいの? ちょうど腹減ってたんだよ、ありがたい」
島田くんは意外なほど上機嫌で、私たちの席まで大股で歩いてくる。
「三人でもちょっと多いよ。デラウェア4個だから」
「デラウェアなら5個でも10個でもいけるさ」
島田くんの食べ方はいかにもスポーツマンといった豪快さだった。10粒くらいを一気にむしり取って口へ運ぶ。
「良かった、余ったらどうしようかと思ってた」
「高梨さんは茶道部なんでしょ、いつもぶどうが食べれるなんてうらやましいな」
「今日はたまたまだよ、普段は小さいお菓子しかないから」
「それでも羨ましいよ、俺なんてサーフィンの練習中も、バイト中も何も食べれないから、いつも空腹で倒れそうなんだ」
「お腹が空いたら来なよ、栗まんじゅうくらいなら食べさせてあげられるから」
二人の会話があまりにも澱みなく流れていて、口を差し挟む余裕がない。何なのだ。
「行きたいけどね。練習前って物食べれないんだ」
「島田くんの食べ方ってすごいね。ぶどうって皮まで食べれるんだ」
そう言ったのは私で、言った自分でもびっくりした。
やることがなくて島田くんの手もとばかりを見ていたら、そんな言葉が口をついて出たのだ。
「一度やってみるといいよ、デラウェアの皮って、思ったよりずっと薄いんだ」
私のほうを向いた笑顔に、私は勇気づけられる。
「島田くんってサーフィンすごくうまいよね。どうすればあんなにうまく滑れるの?」
ずっと聞きたかったことのひとつ。私の問いに、島田くんは顎に手を当てて考える。
「俺が滑ってるのは海じゃなくて空の上だと考えるんだ。滑ってると、波と自分の息がぴったりくる瞬間がどこかで来る。それは風を自分で作って空を飛んでいるような感覚なんだよ。海で溺れる奴はいるけど、空で溺れる奴はいないだろ?」
「まるでデラウェアの皮みたいね」
その笑顔があまりにも眩しくて逸らした目の先、そこには水平線が横たわっている。空と海を隔てるのはこんなに薄い膜だ。
「確かにそんな感じだな」多分島田くんは笑った。「お前、サーフィンの才能あるかもな」
薄い膜を破って、私の感情は溢れそうだった。
それを誤魔化すようにデラウェアをひとつ、口に含む。
溶けそうなほど甘い果汁が私の中へ流れ込む。
それでも、あぁ、こんなに薄い膜を私は飲み込むことが出来ずにいる。
結局輪飾りを作ることが出来なかった私は、次の日の夕方も作業を続けていた。
今日は私の他に誰もいない。だから誰の目も気にせず窓の外を眺めることが出来る。
眼下を見下ろした私の心臓がどきりと打つ。
島田くんがこちらに向かって手を振っていた。
思わず私も手を振る。何かを誤魔化すようにとても小さくだけれど。
薄い空を隔てて、それはまるで握手をしているみたいに熱かった。
作成時間は94分。野球が気になって10分ロスしたことを考えれば、まぁ上出来か。
私の席は窓際にあって、眼下には砂浜が広がっている。
だから授業中退屈した時には海を見て過ごすのだ。
例えば走り回る子供たちだったり、犬の散歩をするお爺さんだったり、手を繋いで歩いて行くカップルだったり。海は見るたびに違う顔をしているから、ずっと見ていても飽きることは無い。
今だって海を見ている。放課後、太陽が赤く色づき始めたこんな時間に、小学校以来久々の輪飾りを編みながら。
この時間に海を見るときはいつも、頬杖をついてみたり、顔を上げて水平線の向こうを覗くふりをしたり、いつだって言い訳がましいやり方で見ているけれど、今日はそんなことしない。
太陽が傾くちょうど今くらいの時間には、砂浜はいつも賑やかになる。海から上がり始めるサーファーたちでごった返すのだ。
でも今日は安心して見ていられる。
砂浜の端にはサーフショップがあって、そこにある緑色のサーフボード。今日はずっと置きっぱなしだ。持ち主はバイトも練習も休んで、教室の端っこで段ボールを切っている。
文化祭の準備は始まったばかりだ。別にまだ慌てるような時期ではないから、教室には他に誰も残っていない。私だって別に残る必要はないけれど、
たまたま時間が空いたから残っているのだ。
そう。それに、キョウカちゃんを待たなければいけないから。キョウカちゃんは茶道部で、そっちの準備があるから行かなきゃいけないって言ってた。
ぎこぎことカッターで段ボールを切っていく音。ちらりと振り返るたびに切り取られた飾り付けは増えていく。
島田くんって器用なんだね、すごい。
別に今日こんなに残らなくてもいいのに、頑張ってるね。
いつも帰り早いけど、島田くんって帰ってから何やってるの?
色々な言葉が浮かんでは消えていく。掛けるべきタイミングを失った言葉たちは堆く積み重なって、私と島田くんの間で壁みたいだ。
廊下の足音がやたらと高く響く。その度に誰か入っては来ないかと息が詰まる。そしてまた壁は大きくなる。
さっきから手元の輪飾りは一向に伸びない。
何か切り出せば楽になるんじゃないかと息を深く吸う。もうそれは何度目だったか分からないけれど、ちょうどその時に教室の扉が開く。
「あら、ナナコ。まだいたんだ」キョウカちゃんだった。深く吸った息が漏れていくようだ。「ちょうど良かった、ぶどう食べない?」
キョウカちゃんは右手を振り上げる。西友の袋が、ぶんと振り子みたいに上がる。
「どうしたのそれ」
「茶道部でもらったんだ。先輩の実家から大量に送ってきたからお土産だって」
そして私の後ろの席によっこらしょと座る。
「島田君も食べようよ。なんかたくさんあるから、女の子二人じゃ多分食べきれない」
キョウカちゃんのその言葉に、え、と私は狼狽する。それを見て、「いいじゃない減るものじゃないんだから」と笑う。
「いいの? ちょうど腹減ってたんだよ、ありがたい」
島田くんは意外なほど上機嫌で、私たちの席まで大股で歩いてくる。
「三人でもちょっと多いよ。デラウェア4個だから」
「デラウェアなら5個でも10個でもいけるさ」
島田くんの食べ方はいかにもスポーツマンといった豪快さだった。10粒くらいを一気にむしり取って口へ運ぶ。
「良かった、余ったらどうしようかと思ってた」
「高梨さんは茶道部なんでしょ、いつもぶどうが食べれるなんてうらやましいな」
「今日はたまたまだよ、普段は小さいお菓子しかないから」
「それでも羨ましいよ、俺なんてサーフィンの練習中も、バイト中も何も食べれないから、いつも空腹で倒れそうなんだ」
「お腹が空いたら来なよ、栗まんじゅうくらいなら食べさせてあげられるから」
二人の会話があまりにも澱みなく流れていて、口を差し挟む余裕がない。何なのだ。
「行きたいけどね。練習前って物食べれないんだ」
「島田くんの食べ方ってすごいね。ぶどうって皮まで食べれるんだ」
そう言ったのは私で、言った自分でもびっくりした。
やることがなくて島田くんの手もとばかりを見ていたら、そんな言葉が口をついて出たのだ。
「一度やってみるといいよ、デラウェアの皮って、思ったよりずっと薄いんだ」
私のほうを向いた笑顔に、私は勇気づけられる。
「島田くんってサーフィンすごくうまいよね。どうすればあんなにうまく滑れるの?」
ずっと聞きたかったことのひとつ。私の問いに、島田くんは顎に手を当てて考える。
「俺が滑ってるのは海じゃなくて空の上だと考えるんだ。滑ってると、波と自分の息がぴったりくる瞬間がどこかで来る。それは風を自分で作って空を飛んでいるような感覚なんだよ。海で溺れる奴はいるけど、空で溺れる奴はいないだろ?」
「まるでデラウェアの皮みたいね」
その笑顔があまりにも眩しくて逸らした目の先、そこには水平線が横たわっている。空と海を隔てるのはこんなに薄い膜だ。
「確かにそんな感じだな」多分島田くんは笑った。「お前、サーフィンの才能あるかもな」
薄い膜を破って、私の感情は溢れそうだった。
それを誤魔化すようにデラウェアをひとつ、口に含む。
溶けそうなほど甘い果汁が私の中へ流れ込む。
それでも、あぁ、こんなに薄い膜を私は飲み込むことが出来ずにいる。
結局輪飾りを作ることが出来なかった私は、次の日の夕方も作業を続けていた。
今日は私の他に誰もいない。だから誰の目も気にせず窓の外を眺めることが出来る。
眼下を見下ろした私の心臓がどきりと打つ。
島田くんがこちらに向かって手を振っていた。
思わず私も手を振る。何かを誤魔化すようにとても小さくだけれど。
薄い空を隔てて、それはまるで握手をしているみたいに熱かった。
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