※今回の更新は、
「びっくり!!君のサイトも真っ赤っか!!」という企画の一環として作成されたものである。
詳細はここを参照していただきたい。
http://studia.s601.xrea.com/のWebページの趣旨に賛同した者たちが集い、
ここにテキストサイトの繁栄を祈念し、地上の楽園を作らんと革命を企図するものである。

特に共産主義の革命ではないし、私は共産主義者でもないことを附記しておく。
文体は普段の百倍ほど固いが、内容が硬いわけではない。


赤だ。
私は赤について考える。古くはこのような教科書にある通り、朝日は赤い。それは紛うことなき事実のように見える。

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では赤とは一体何であるのか?
旧ソビエト連邦の国旗に代表的に見られるように、赤とは共産主義の色である。
それはとりもなおさず労働者の色であり、自由を示す色だ。
ここで言う自由とは、全ての枷からの解放を意味している。国家権力からの解放や貴族階級による搾取からの解放は勿論のこと、
国家という境界線からの解放(それは当然の帰結たり得る)も意味する。国家が意味をなさなくなる以上、国境は意味を持たない。
すなわち、全ての人種は混ざり合うのだ。

赤は血の色だ。
皮膚よりもっと深いところで共有している、我らの熱き血潮なのだ。
それは理想を体現するためであれば犠牲を払うことも厭わない、革命的な温度なのだ。

翻って問う。
朝日とは果たして革命的なものであろうか?
夜を照らす初めの一擲であるから革命的である。なるほど。
しかし同志諸君、私は思うのだ。朝日が眩しく見えるのは、諸君が闇の中に住まうからに他ならない。
光の差す場所へと歩を進めてみるがよい。朝日の光量は小さく、届きはしないのだ。

これだけは伝えておきたい。
朝日とは昨日の繰り返しを是とするエネルギーに他ならない。まるで馬車馬の引く車輪の如くだ。
馬車馬の引くものが革命である道理はない。
従って、すべての朝日は赤ではないのだ。所詮、一時の目眩ましに過ぎぬ。
諸君らは車輪に甘んじてはならない。革命家たちよ、せめて馬車馬たれ。

朝日よりはどちらかというと東京スポーツのほうが革命的だと私は思う。



赤とは革命的な色でなくてはならない。
それを体現するひとつの例が広島カープである。

広島カープは貧乏球団である。金はどこにもない。
しかし樽募金がある。
樽募金とは、すなわち元気玉のことである。
労働者が少ない賃金を持ち寄るのだ。一人一人の力は小さくても、膨大な数の労働者から集めることで絶大なる力を生み出し、世のブルジョワジーを打ち倒すことが出来る。
この趣旨に賛同した者たちが集まる、そのような野球チームなのだ。

石井琢朗が広島入団「赤に染まりたい」
その崇高な精神に共鳴した、別チームのキャプテンのこんな発言さえある。資本主義に毒されきった野球界に添えられし一輪の赤として、広島カープは輝かなくてはならない。

そして広島カープは拝金主義の資本主義社会に対し挑戦状を叩きつける。

社会主義の国では、野球選手でさえ高給を求めない。過剰な供給は資本の流れを滞らせるからだ。
十年ほど前に「キューバの至宝」と呼ばれた選手が来日して中日ドラゴンズでプレーした時、月給はわずかに38万円だった。
とは言え、それでもまだ高額であることは否めない。それが野球選手の限界点だ。

広島カープの革命戦士たちは、その崇高な精神を守るための闘争に見返りを求めない。
その証拠がこれだ。

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この選手は、前年まで件のブルジョアジー集団にて数千万円の年収を得ていたのだ。
しかし、その熱く滾る革命への思いを止めることなどできない。金額の多寡ではないのだ。


このように、革命への理想を追い続けてきた広島カープであるが、
やはり共産主義の弊害として、中央権力が腐敗してしまうのは避けられないのであろうか。
残念ながら、近年では一部の中心人物のもとに富が集まっているという黒い噂も絶えない。
その数少ない証拠の一つがこれだ。

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この菊池という男は党幹部であろうか。
先ほどの革命戦士4億人分の富がここに流れ込んでいる。スーダンの国家予算に等しい額だ。
これを腐敗と言わずして何であろうか。


この状況を見るに、革命への道はまだまだ険しいことが見て取れる。
しかし、我々は歩みを止めてはいけない。歩かない限り、前へは進まないのだ。


革命家たちよ、一時の苦しみに歩みを止めてはならない。
歩き続けた先に何が待っているという保証はない。こんな時代の流れの中で甘言を弄すことは革命家の態度ではないからだ。
しかし理想はあるだろう。
その場所へ辿り着くために、私は一人でも歩き続ける。革命家たる諸君に、それだけは伝えておく。