ワールドカップネタもそろそろ飽きてきたので、
そろそろ通常更新に戻ります。

麺の話も、また長くなりそうなので、少し後回し。
ちょっと脱線します。

今日はちょっと長いです。


最近分からない言葉の一つに、
「ロハス」というものがあります。

いや、イメージは分かります。
なんか自然環境に優しそうなあれ。
南国のリゾートでハンモックに揺られながらフェアトレードコーヒーでも飲んでるあれ。
成城石井で有機野菜を買って豆のドライカレーを作り、手焼きの器に盛って、しかも盛り方は腹三分目で十六穀米でロッジの一部屋でキャンドルナイトな、あれ。意外にカレーは辛い。

それはそれで良いのだけれど、
最近本屋に行ったんです。みなとみらいにある、おしゃれ本屋。
その時、雑誌コーナーで見た光景がこれでした。

2014-06-27-16-00-22

ぱっと見では分かりづらいのですが、
注意して見ると、あることに気付きます。

他はフリーダムに置かれているのに、
ソトコトだけビニールで包まれている。

ソトコトといえば、もうあれですよ。
参考リンクとして、おしゃれにfacebookとか貼っちゃいますが、
いわゆるロハスの権化です。

日本のロハスの先駆者、ロハスに関してはソトコトの言うことだけ聞いてれば間違いない。

かめはめ波のことは亀仙人に聞けば全部わかる。
バスケのことは安西先生に聞けば全部わかる。
サッカーのことは松木安太郎に聞けば全部わかる。

それと同列の存在なんです。
ロハスのことは、ソトコトに聞けば全部分かる。
それが、何か様子がおかしい。
この雑誌だけ、明らかに過剰包装ではないか。

これはどうしたことか。
まさか、地球上すべてのものに優しい理想を求めるソトコトが、
単なる立ち読み防止のためにビニールをかけているなんて、そんなことあるはずがない。
それだけのために過剰包装を許すなんて、そんなことはありえない。

これには何か理由があるはずだ。
その理由を感じ取れる、そんな境地に至ってこそロハスなのでしょう。
私はロハスからは程遠いので、少し考えてみます。


(1)じつは、このビニールは、フェアトレードビニールなのだ。

木を切って生活をしているポディマハッタヤさんがいて、
それをビニールに加工するトニーゴンザレスさんがいて、
それでソトコトを包むダン・ランドレスさんがいる。

ソトコトのビニールのおかげで、彼らは生活できているのだ。
ビニールを無くすことは、彼らの職を奪うことを意味する。

さすが、人にやさしいソトコトだ。


(2)じつは、このビニールは、細菌達の餌になるのだ。

ナポレオン(だったと思います)は、食事の食べ方が非常に汚かったと言います。
テーブルの下に落とす落とす。
誰もが眉をひそめてそれを見ていたのですが、
じつは、それはテーブルの下に群がる犬たちに、おいしい食事を食べさせるためだったのです。

という伝説。
ソトコトも同じなのだ。

ソトコト読者は路上にビニールを捨てる。
それは一見、不法投棄のように見えるが、違う。
土に根付いた細菌達に、おいしい有機物を食べて元気になってほしいからなのだ。

細菌が元気なら地球も元気。

さすが、地球にやさしいソトコトだ。


(3)じつは、このビニールは、被災地支援になるのだ。

ソトコト読者は路上にビニールを捨てる。
それも、人がいない福島第一原発付近に。
それは一見、不法投棄のように見えるが、違う。

放射線量のマッピングをしてみれば、きっと分かるはずだ。

 ――放射線が遮断されている!? ビニールの向こう側の土は放射線量が0だ! 何故なんだ!?
 ――そのビニールをよく見てみるんだ。
 ――何……だと……? これは鉛が混ぜられたビニール……
 ――そう。ソトコトの包装は、鉛を混ぜたビニールなんだ。
   これさえ使えば、もう放射線なんて怖くない!

さすが、奇跡を起こすソトコトだ。

ということで、ソトコトのすごさが分かりましたね。
ロハスのすごさが分かりましたね。

私にはまだ分かりません。
多分、今の私のロハスレベルが限りなく低いからなのでしょう。


(勝手に鉛を捨てたら不法投棄で捕まります)